永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「手を出したら負け」といわれるが、、。

「兄弟げんかをして、血だらけになっていた」という昔話を聞くことがあります。

息子が二人格闘家になって活躍していたのですが、その母親が懐かしそうに話していました。

母親は、止めに入ったり、介入をしなかったそうです。

よくあるパターンは、兄弟げんかは、最後に兄が親に怒られて終結するというものです。

どちらが原因を作ったのかについては、関係なく事態の収拾が図られるのです。

「自分が原因じゃない」と感じている側にとって、理不尽な結末になることもあります。

どちらが仕掛けたのか?

けんかを優位に進めるには、相手を挑発して手を出させるという方法があります。

そうすると、「相手が手を出したから、正当防衛をした」と警察に言えるのです。

でも、近年は過剰防衛で、相手に重傷を負わせたり、死に至らしめたりするケースもあり、安全カメラなどの客観的証拠がない場合は判断が難しくなっているようです。

場合によっては、真相は藪の中になってしまうかも知れませんね。

ただし、人間には堪忍袋があるにせよ、容量の限界を突破すると、怒りがあふれ出します。

この怒りの処理が課題ですね。

人と人、国と国、利害関係の対立は、拡大する時代です。

人と人は、くっついたり離れたりを繰り返します。

ちょっかいを出しては、追い払われて、付きまとったり、厄介な一面もありますね。

国と国でも、国際法を守らずに、秘密裏に行っていることがあると聞きます。

それを事前に察知して、実力行使に出ると、あの国は侵略者だと非難囂々になります。

まあ、声が大きい方が、一見有利のようにも感じますが、子犬ほど吠えるという原則から見ると、果たしてどちらに分があるか、いづれ分かる時が来るでしょうね。

人間は、連想ができるので、何かが起きたら、それをキーワードとして、起きて欲しくないことが、今すぐに起きてしまうような不安を強く考えてしまいます。

その不安に振り回されないように、自分自身のマインドを整えておきたいと考えています。

また、仕掛けられたときに、できるだけ手を出さない対処法も考えておく必要がありますね。