『犠牲とは、おまえをなにものからも切断することなく、逆におまえを富ますものだ。 サンテグジュペリ』
いろいろな犠牲が払われて、人間社会が成り立っています。
自分が意識しても、意識しなくても、誰かの犠牲によって、生活をすることができているのが本当のところでしょうね。
犠牲と聞くと、身を削るイメージがありますが、このフレーズでは、「富ます」と記されています。
自分の利を求めない適正な「犠牲」は、誰かの為になり、回り回って自分に報酬として返ってくるというサイクルでしょうか?
犠牲の精神によって得られる富が、心理的報酬ということもできます。
誰かのためにすることも大切ですが、その前に、自分のために、言い換えるならば、自発的にすると言う心構えがあってこそ、その富を実感できるのかも知れません。
ですから、究極の犠牲は、自発的に、惜しみなく行うということが大切なのでしょうね。
犠牲には、リスクを伴いますから、覚悟と勇気と大胆さが必要になります。
また、時には、自分の思い込みから、的外れな行為になることもあります。
それも含めて、チャレンジしていくことが求められます。
さらに、自分が評価されることを主眼とすることは、一番的外れになりますから、注意したいですね。
真の富とは、どのような味わいなのでしょう?