永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

生きること以外に浪費されるエネルギー コルトン

『人は宗教のために論争するであろう。そのために書き、そのために戦い、そのために死ぬ、そのために生きること以外は何でもやる。 コルトン』

生きることにフォーカスするのが難しい時代なのでしょうか?

そもそも、生きるためにエネルギーを得る一つが宗教だったと認識していたのですが、そうではない部分が大きいようです。

宗教については、「何が正解か?」という論争

「新しい解釈」という無謀なチャレンジ

「誹謗中傷」という妨害などなど、多くの場外乱闘が見受けられます。

シンプルに言えば、信仰は個人個人が信じて充足感を味わって、生き生きと生活ができれば役割を果たしているのです。

極論すれば、宗教組織がどうのこうの、教義がどうのこうのというのは二の次なのですね。

ただし、まやかしの宗教組織が存在するのは事実で、金額の張る壺などを買わされたり、家族関係が崩壊するなどの破綻に見舞われるケースも多くあるのは、残念な世の中だと、ガッカリしています。

このような時代のニーズは、「何が起きても、心穏やかに生きていられること」ではないでしょうか?

その人が、真理だと信じられることに出会えたなら、それは、尊いことです。それがあれば、生きられるのですからね。

論争から距離を置き、自分の信仰を祈り深めることが、心の自由へと繋がります。