永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人が生きるための言葉

『ヒトが生きるための言葉は、逡巡(しゅんじゅん)しているとき、沈黙しているときに生まれる(佐々木幹郎)』【随想「詩のいま 言葉のいま」(「望星」10月号)】

言葉の重みという視点で考えてみると、口数の多い人よりも寡黙な人がたまに発する一言にハッと気づきを感じるコトがあります。

筆者は、言葉はその人の中で熟成されて出てくるのだと考えています。

それは、言葉が本来表現する意味を遙かに凌駕して、発する人の色々な想いをのせてくる。

ですから、辞書にのっていない要素も含んでいるように感じるコトが多いですね。

別な表現をすると、言葉は、発する人のエネルギーをのせてくる乗り物なのかも知れませんね。

また、熟成されるとは、葛藤があり、結論を出すまで練り上がっていないケースや、状況を受け止め切れていない、ただ黙する以外に無い時に、ヒトの中で起きている現象なのでしょうね。

「いのちことば」は、ヒトを生き生きとさせる言葉です。

言葉を発するときには、心したいですね。

ゆるしたい神とだまして罪を犯させ責めて絡め取るサタン

『もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。(ヨハネⅠ1:9新改訳2017)』

創造主である神は、正義の存在ですから、時に逸脱者のさばきをされた事もありました。

ノアの洪水やソドム・ゴモラの滅亡などインパクトが強い出来事ですね。

しかし、その一方で、全人類のために、メシアであるイエス・キリストを備え、唯一の完全な贖いの生け贄として、十字架上で死に、葬られ、三日目に復活を通して、救いの道を備えています。

『もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいますヨハネⅠ1:7新改訳2017)』

全人類は、これを自分のためだと信じることで、無罪とされて、解放されるのです。

これが、ゆるす神の方法です。

しかし、サタンは、人間を誘惑して、罪に誘い込み、その罪を示しながら、攻め続けて、奴隷にしてしまうのです。

それは、サタン自身が、行く先が確定しているので、その道連れが欲しいからなのですね。

誘惑され、だまされて罪に引きずり込まれたとしても、あきらめないで、ゆるす神の方法に従って、自由を獲得して下さい。

優しさはときには足手まといになることも…

https://imgur.com/YjCZLfN

救助犬では無いようです。

水遊びをしたい飼い主家族のシャツを引っ張って、深い所に行かせないようにしているのですね。

人間は、水遊びをしたいのですが、ワンちゃんはそちらに行くと危ないから行かないでと、シャツに噛みついて離れないのですね。

人間同士に見立てると、過保護、過干渉の関わりに見られる光景ですね。

相手の安全のためにと考えながら、実際は、相手の自由を束縛してしまうパターンですね。

どうやら、見守るのにも勇気が必要で、助けが必要な時に必要な助けができるスタンバイが最も重要なようですね。

人生の99%不幸だと感じても

「人生の99パーセントが不幸であったとしても、最期のときが幸せなら、その人の人生は幸せなものに変わる」【マザーテレサ

艱難辛苦を味わって人生を歩んでいる人も多いことだと思います。

ある年齢に達すると、「自分の人生はこれで良かったのだろうか?」と考えるものですね。

幸せを感じたコトよりも、辛かったこと、苦労を感じたコトの方がインパクトが強いので、「人生の99パーセントが不幸」だと感じてしまうのでしょうか?

最期といわれる肉体的生命の終結は、自分では選択できません。

誰かの世話になるのですね。

自分なりの理想を持っていても、その通りにはいかないケースが多いようです。

人生の中で、人間関係にも変化がつきものですから、その変化の中で、幸せを感じられたらOKなのですね。

実際に、マザーテレサは、インドの貧民街で、多くの天涯孤独な方々に寄り添い、そっと手を握り、愛を共有したのでしょうね。

この愛の共有こそが、幸せの中核のように感じます。

一杯のコーヒーから

「茶道」というものが、千利休から現代に伝わっています。

「コーヒー道」というものも、極めている方もお見えになりますね。

焙煎やネルドリップの名人、森光宗男さんと大坊勝次さんの対談録『珈琲屋』には、不思議な言葉が溢れています。

感覚の差に、一瞬「えっ?」と感じるが、コーヒーに想いを寄せれば、なるほどとも感じる。

森光「一杯のコーヒーから店のあらゆる寸法を割り出す」「椅子にもこれしかない寸法がある」

大坊「コーヒーを楽しむ」ことで道具から設えまで決まる。

森光「判断の根拠は後でしかわからない」

大坊「あきらかにしないからこそ、誰もが生きていられることがある」

 

コーヒーにハマると言えば、ブラジルに移住してまで、日本人のために安心安全な美味しいコーヒーをつくりに行った人がいます。

鈴木功さんは、パライーゾ農園を開墾して、有機JASコーヒーを作り続けています。

いくつもの大きな山を一歩一歩越えながら、一日に一万回「ありがとう」をささやき続けているそうです。

農園では、自給自足の生活をしながら、時には毒蛇にも噛まれることもあり、命懸けで究極のコーヒーづくりに励んでいらっしゃいます。

コーヒーは、飲むとホッとするだけでは無く、人が惹かれるような、魅力に満ちた不思議なものなのかも知れませんね。

hareruya.tokyo

すばらしい人生のために必要なこと

それは、時には「友」といわれ、時には「書(Book)」と言われます。

デンマークには「HYGGE(ヒュッゲ)」という言葉があるそうです。

幸福度ランキングで、トップ5にいるデンマークで共有されている伝統なのかも知れませんね。

あえて表現すれば「安らかで満ち足りている」という気持ち、だそうです。

家に帰ってきたときに感じる「ホッと」した感じだとも表現されます。

デンマークのコミュニティがその受け皿になっているようですが、そのコミュニティに入れてもらえるか、お客さんではなく、一緒に「HYGGE」を共有し、育んでいけるかが大切のようです。

その要素として、友は大切なのですね。

金銭や物質の豊かさよりも、心の豊かさを実感できるための人生がそこにはあるのでしょうね。

その国ごとの「HYGGE」が共有できるコミュニティが実現できると良いですね。

幸せを実感している人は、それをすでに獲得しているのかも知れませんね。

母娘の会話

「お母さんなのに、何でこんなことも分からないの?」
「そんなこと言われても、初めてお母さんになったのだから、分かるわけ無いじゃ無い!」

「親なのに…」と指摘されて、言い返せる親御さんがどれほど居るでしょうね。

子どもに、「親なのに…」と言われてへこんだと、聞くこともあります。

子どもよりも社会経験も豊富な大人ですから、プライドもありますし、なかなか知らないとは言えませんね。

「…分かるわけが無い…」と、プライドをかなぐり捨てて、反応するのは、素直な親御さんなのかも知れませんね。

このように反応された娘さんは、「まあ、そうだね。」と理解を示したそうですからね。

「大人になっても〇(マル)をつけてもらいたい時があるの」宮原るり【コミック『僕らはみんな河合荘』より】

というフレーズのように、大人である親でも、「ダメだし」ばかりでは無くて、ジッと見つめたうえで静かに返してくれる〇(マル)がほしいのですね。