永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

仕事→畑→家

『外であなたの仕事を確かなものとし、あなたの畑を整え、その後で、あなたは家を建てよ。(【新改訳2017】箴24:27)』

ソロモンの知恵です。

家を建てる段取りが記されています。

まず、仕事、これは、収入ですね。

次に、畑、これは、食料ですね。

そして、家、という順番なのですね。

不動産の買い時は、いつの時代でも「今」だそうですが、結構、ムリをして購入される人もいるようですね。

賃貸派と購入派とどちらも、総支払額に大差はないようです。

賃貸派は、移動できる自由度がありますね。

購入派が、安住の地を得たという安心感でしょうか?

それぞれに、ニーズに適っていればいいのですね。

家に限らず、物事の優先順位は、自分のこと、家族のこと、その他のことなどと、身近なことから、クリアをしながら範囲を広げていかないとうまくいかないのでしょうね。

物事には、順序があるのですね。

どうして人間は対等な関係が苦手なのか?

ものごとに優劣をつけるものさしの延長線上にある優越感という言葉があります。

他人よりも、自分が優れているコトにこだわるマインドですね。

一方、劣等感は、自分が劣っているコトにフォーカスしているのですね。

人間には、得手不得手があり、優れている面もあれば、劣っている面もあるはずです。

でも、優劣が決していないと自分のマインドが落ち着かないのでしょうね。

人間は、肉体的な両親があり、誕生してきます。

そして、養育者に養育されて育ちます。

親あるいは親的立場の養育者は、赤ちゃんに対して、遙かに高い優越能力で育てていくケースが多いのですが、成長するにつれ、その差は縮まっていきます。

この時に、子の親離れ、親の子離れがうまくいくと対等な関係を築くことができるのでしょうね。

しかし、そうはならないケースが非常に多いようです。

知人関係でも、親的な人には、好感が持てたり、逆に嫌悪感しか出てこなかったりですね。

また、相手にプレゼントをするのはOKでも、相手からプレゼントされるのはNGだったりする人もいます。

どこかで、何かに引っかかるのでしょうね。

全くの対等な関係は難しいにしても、この事を踏まえて知人関係を客観視してみると、意外な発見があるかも知れませんね。

『多くの友に関わる人は身を滅ぼす。しかし、兄弟以上に親密な友人もいる。(【新改訳2017】箴18:24)』

 

ハチミツについて

『わが子よ、蜜を食べよ。それはおいしい。蜂の巣の蜜はあなたの口に甘い。(【新改訳2017】箴24:13)』

ソロモンが創造主である神から授かった知恵をまとめた書物として、多くの教訓が記されているの箴言です。

自然界には、素晴らしいサイクルが備えられています。

ミツバチは、花の蜜を求めて、花から花へと飛んでいき、蜜を集めながら、花粉を運び、大切な受粉の役割も担っているのですね。

花から蜜を抽出するのは非常に難しいコトでしょうね。

ですから、くまのプーさんも、ミツバチの集めてきたハチミツを狙うのですね。

人間も同様です。ハチミツだけではなく、蜂の子やローヤルゼリー、そして、プロポリスなど、蜂が集めてきたものは健康のために良いとされていますね。

口に甘く、健康にも良いのですから人気が出るのは当然ですね。

『親切なことばは蜂蜜。たましいに甘く、骨を健やかにする。(【新改訳2017】箴16:24)』

また、そのハチミツになぞらえて、人と人とのコミュニケーションの一つである「ことば」が非常に大切だと記されています。

「親切なことばは蜂蜜」そのような、ことばでコミュニケーションしたいですね。

「ユダヤ」という言葉が一人歩きする不思議

ユダヤ人」の中には、優秀な人が多いとの評価があります。

学者、研究者、芸術家など多く活躍している現実があります。

聖書に書かれている流れでは、最初にアダムが創造され、次の世代がノア、洪水後の創世記12章でアブラハムが登場します。

このアブラハムから、約束の民とされるユダヤ人が繋がっているのです。

つまり、アブラハムイサクヤコブの子孫である人たちがユダヤ人なのです。

分類上は、ユダヤ人か、それ以外(異邦人)とされています。

しかし、ユダヤ人が創造主である神から祝福を受けるので、そのおこぼれに預かろうとそばにいた人たちもいて、区別は難しい部分もあるかも知れませんね。

また、「自称ユダヤ」を名乗る勢力もあるようで、ただでさえ複雑なのに、カオス状態に拍車をかけている要素になっていると指摘する向きもあります。

創造主である神からアブラハムが示された約束の地は、カナンであり先住民がいたのですね。

歴史をたどると、イスラエルの統一王国時代、南北朝王国時代を経て、滅亡、捕囚などで、移住政策があったり、国自体がなくなる時代もあり、実態がどのようになっていったか、誰にもわからないようになったのです。

今のイスラエルの国境線は、1948年以降に引かれたものであり、国境線の外に、正当な血統を引くユダヤ人がいないとは言えないのです。

なので、混乱を収束したい勢力と混乱を利用したい勢力などが利害衝突しているのですね。

事実は、創造主である神のみぞ知るというコトでしょうからね。

約束の民に、そして、その地域に、平和が訪れることを祈るばかりです。

エルサレムの平和のために祈れ。「あなたを愛する人々が安らかであるように。(【新改訳2017】詩 122:6)』

 

イシュマエルへの祝福

【新改訳2017】創17:18-20『そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」…イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。

アブラハムは、いくつかの心配を抱えていました。

高齢になるまで、実子がいませんでしたから、跡継ぎはダマスコのエリエゼルだと思い込んでいました。

妻のサラのすすめで、侍女(女奴隷)ハガルによって、イシュマエルを授かることになりましたが、跡継ぎが生まれたことで、女同士の雲行きが怪しくなります。

さらに、創造主である神は、今から妻のサラが生むイサクがあなたの跡継ぎだと言われるのです。

いざ、イサクが生まれると妻のサラは「跡継ぎはイサクがいるのだから、イシュマエルを追い出しなさい。」と言われるのです。

アブラハムからすれば、イサクもイシュマエルも実子ですから、それぞれの行く末は大変気にかかります。

【新改訳2017】創21:12-13『神はアブラハムに仰せられた。「その少年とあなたの女奴隷のことで苦しんではならない。サラがあなたに言うことはみな、言うとおりに聞き入れなさい。というのは、イサクにあって、あなたの子孫が起こされるからだ。しかし、あの女奴隷の子も、わたしは一つの国民とする。彼も、あなたの子孫なのだから。」』

アブラハムの心配事を創造主である神が知らないはずがありません。

イサクはもちろん、イシュマエルも「祝福する」と告げられたのですね。

人間の視点で見ると、非情にもうつるドキュメントですが、創造主である神の計画の一端なのですね。

やがて、アブラハムイサクヤコブの子孫であるイスラエルも、イシュマエルの子孫も、祝福を共有できる時が来るのですね。

ロボット掃除機に助っ人?

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ネコちゃんが回る掃除機につかまってみたら楽ちんで楽しかったのでしょうか?


表情はそれほど楽しそうには見えないのですがね。

でも、拡張されたネコちゃんモップの部分が一番ホコリをとるようにも思います。

飼い主さんもロボット掃除機の手入れとネコちゃんモップのお手入れと大変ですね。

ネコちゃんくらいの体型ならできそうですが、人間だと、相当に大きなロボット掃除機が必要ですね。

そういう点では、こんなことができるネコちゃんが、うらやましくもありますね。

神のワザとは

(【新改訳2017】創17:17-19)『 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。』

アブラハムは、子孫を星の数ほどに繁栄すると創造主である神から告げられましたが、アブラハム100歳、妻のサラは90歳、ノアの洪水の後には寿命が短くなっていますから、かなりの高齢と言うことになり、人間的には妊娠・出産が望めない領域になっていたのです。

妻のサラは、アブラハムが86歳の時に侍女のハガルによってイシマエルという男の子を授かっています。

イシマエルとイサクは、父がアブラハムの異母兄弟というコトになるのですね。

ただ、メシアにつながる系図は、アブラハム・イサク・ヤコブと流れていったのです。

その系図のためには、サラの子としてのイサクが必要だったのです。

「神のワザ」は、人間では望めない状況からあらわされるのですね。

現代でも、人間が「もうダメだ。限界を超えている。」と思う所からでも、道が開かれるケースがあるのは、天の助けによるのかも知れませんね。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。

自分の役割をコツコツと果たしながら、「天の助け」を待ちたいですね。