永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

残り香 何を遺していくのでしょうね。

人は、この世で得たモノは、すべて遺して身軽になって旅立っていきます。

ですから、せめて何かを遺していきたいと考える人もいるようですね。

図書館を寄贈したとか、コンサートホールを寄贈したとか、様々なモノで遺す人もいれば、記憶の中に語り継がれていく存在として遺している方もいらっしゃいますね。

遺そうとした意思と遺したモノのギャップは必ず存在するのだろうと考えるのです。

もちろん、何かを遺していきたいと考える人は、善意で考えるのでしょうが、それを善意として受け入れてもらえるかどうかという、自分では決定できない要素がありますからね。

自分の銅像を遺す方も見えますが、それの受け取られ方も様々なようですね。

まあ、自分の場合は、少々のがらくたと、やっかいな問題などを遺してしまうのかも知れません。できるだけ、見切りをつけておいた方が良いのでしょうけどね。

否定的表現はインパクトが強い

「だめっ!!!」って言われたら、「ぴくっ」と固まりませんか?

「○○しちゃいけない」とはよく聞くフレーズですが、「○○してもいいよ」なんて、なかなか聞かないで育った人も多いのではないでしょうか?

親として、子を危険にさらしたくないという気持ちがありますから、迫力のある否定表現に拍車がかかるのかもと考えてしまいますよね。

○○は、危険だから○○をやる時には、ココを気をつけましょう。
だから、気をつけたら、楽しくやりましょう。

みたいに、自分の中で、して良いこととしない方が良いことの変換をしていく必要があるのですね。

危険な行動を見かけたら、危険回避のためのストップをかけてから、何が危険なのか?どうすれば安全が確保できるのかを一緒に考えて見るのが良いのかも知れませんね。

信用と信頼

アドラーが提示する考え方ですね。

信用とは、見える何かで信じる保証にすること。

信頼とは、目に見えないモノで信じ切ること。

そして、信頼に応えるかどうかは、信じた自分ではなくて、相手の課題であること。

世の中には、絶対に守られる約束は存在しないのかも知れませんね。

それでも、自分がした約束は果たそうとするし、お互いに最大限の努力はしたいと考えられる信頼関係の中で生きられることが、幸せを実感できる関係性なのかも知れないですね。

見返りばかり求める

「欲しい」「欲しい」「欲しい」

「もっと」「もっと」「もっと」

今あるモノに満足せずに、次々に求める。

これが、人間の本性かも知れませんね。

「蛭に二人の女あり、與よ與よと呼ばわる。飽くことを知らざるもの三つあり否四つあり皆足れりといわず…陰府、妊まざる胎、水に満たされざる地、足れりといわざる火これなり。(箴言30:15,16)」

なんて、フレーズを思い出してしまいます。砂漠の砂は、水を少々まいても、すぐに吸収してしまうでしょうし、大火事は、水をかけてもすぐには消えてくれませんね。

ブラックホール」は、宇宙空間にあるそうですが、周りのモノを吸い込んでしまうと聞いたことがあります。どんどん良い物を引き寄せたいという願望はありますが、自分自身が、ブラックホールにはなりたくはないと思います。

自分のことを考えるのは大切ですが、周囲とのマッチングも考えるゆとりを持てないと、結局、孤立してしまいかねないので、要注意ですね。

孤立よりも自立を目指していく方が、世の中で楽しく生きていけるのではないでしょうか。

ボーダーライン

何かと何かも境目を境界線といいますね。

自分と他人との境目を自他境界線(バウンダリー)といいます。

国と国の境目を国境といいますしね。朝鮮半島では、北緯三八度あたりをメドに休戦ラインが決められたりしています。休戦ラインということは、まだ確定してないと言うことですね。

区別と差別にも境目が存在するのでしょうね。

ただし、これは、判断する人と、その判断を受け入れる人の感情が絡む話であり、確定が難しい要素でもありますね。

区別は、カテゴリーで属するか属さないかを決めること、差別は、特定の対象を特殊な意図を持って括ること、などと説明を試みようとするのですが、スッキリしないですね。

大切なのは、何かのカテゴリー分けをする時に、そのようにする根拠を明確にしておくのことなのでしょうね。感情的・意図的に仲間はずれにすることは、大きな問題に発展する重要な要素なのですからね。

お金の使い方

「善意の募金や義援金が闇に消えていった」などという話もあるようですね。

非常に悲しいことですね。

宝くじに当たったらとか、1兆円あったら何に使うとか、イメージトレーニングをしてみるのも時には良いのかも知れません。

豪邸?飛行機のファーストクラスとか、高級車とか、夢を叶える商品も多くありますね。

でも、それらがあるのが当たり前の生活は、明らかに、今の生活とは違いますよね。

不安や煩わしさが増えるコトの方が多いようですね。

ソロモン王は、実際それを体現して「空なるかな」と遺しています。

それよりも、あるモノに振り回されない生き方の方が安定感があり、平安でいられるように思います。

「当たり前」の生活から、今あるモノが「有難い」という感謝の生活へ、切り替えたら、ホッとするのではないでしょうか?

「あってもなくても大丈夫」というパウロが体現したような心境になれるのですね。(ピリピ4:11-13)

財産の多い少ないではなく、置かれたその状況を感謝して生きることが大切なのでしょうね。

ネコと飼い主の関係

微笑ましい動画を発見しちゃいました。

どちらも、飼い主と飼い猫とのすごく近い距離感を感じられるもので、見ている側もニヤニヤしてしまいます。

自分と周囲の関わりを見直してみるきっかけにもなるかも知れませんね。

そういえば、どこかに投稿されていた記事に、『クレアちゃんという名の飼い猫が、眠っていても「おさかな」と声をかけると「ニャー」と返事する』というのもありましたね。

飼い主がキスをするとネムネムのネコちゃんがニャーと返事するのです。

www.youtube.com

こちらは、飼い主が美味しそうなクロワッサンを食べているのですが、ネコには食べさせないので、ネコの目つきがだんだんハンターのように鋭くなっていくのです。

www.youtube.com

ネコは、人に優しいのかもと思える一面が感じられました。

ネコと共存し、双方が幸せなら言うことなしですね。