人は、この世で得たモノは、すべて遺して身軽になって旅立っていきます。
ですから、せめて何かを遺していきたいと考える人もいるようですね。
図書館を寄贈したとか、コンサートホールを寄贈したとか、様々なモノで遺す人もいれば、記憶の中に語り継がれていく存在として遺している方もいらっしゃいますね。
遺そうとした意思と遺したモノのギャップは必ず存在するのだろうと考えるのです。
もちろん、何かを遺していきたいと考える人は、善意で考えるのでしょうが、それを善意として受け入れてもらえるかどうかという、自分では決定できない要素がありますからね。
自分の銅像を遺す方も見えますが、それの受け取られ方も様々なようですね。
まあ、自分の場合は、少々のがらくたと、やっかいな問題などを遺してしまうのかも知れません。できるだけ、見切りをつけておいた方が良いのでしょうけどね。