永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

一日一生 内村鑑三

『一日一生。
 一日は貴い一生である。
 これを空費してはならない。 内村鑑三【一日一生 教文館】』

時間の使い方について、身の引き締まるフレーズです。

ついつい時間を浪費してしまう私に取っては、かなり耳の痛い内容です。

この精神で、内村鑑三氏は寸暇を惜しんで、勉学などに励んだのだと推察します。

今の時代なら、情報があちこちに開示されているので、何々派はどのようなルーツがあり、どのような特徴があるということが概略を把握する事ができますが、当時は、雲を掴むような状況だったのだろうと思います。

渡航するのも船の時代、現代社会からは想像のできないほどの苦労をされたのでしょう。

キリスト教と言っても、実に多様で、21世紀の現状はカオスと表現するくらいの混沌とした状態です。

その当時でも、内村鑑三氏が、「神学教育に失望した」とあるのは、彼がイメージしていた信仰の本質との乖離を発見したからかも知れないと、私は考えています。

もちろん、信仰背景が違う組織神学に基づく教会とは乖離があったので、それを懸念して、信仰者の集いは推奨していたが、組織のための教会に疑念を持っていたという事だと理解しています。それが、無教会主義とレッテルを貼られた背景なのでしょう。

聖書には、「一日は千年のごとく、千年は一日の如し」という時間的考え方も出ています。

何かに集中していれば短く感じるコトもあるし、誰かを待ち焦がれたり、何かに悶々としていれば、長く感じてしまうこともありますね。

人間が平等に与えられている一日、24時間に一生があるという発想で、その日にする事、その日の楽しみ、そして、少しのゆとりを配分していきたいと考えています。

その中には、コーヒーブレイクも、誰かとの対話、何かのスタディー、そして、刺激が強すぎない人生のスパイスを盛り込みたいと考えています。

平安で生きられることの感謝も忘れずに。

 

内村 鑑三(うちむら がんぞう、1861年3月23日(万延2年2月13日)[1]- 1930年(昭和5年)3月28日[2])は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。「代表的日本人」の著者でもある。(中略)
内村はペンシルベニア大学で医学と生物学を学び医者になる道を考えていた。カーリン夫人はユニテリアンでハーヴァード大学で学ぶことを勧めたが、米国滞在中の新島襄の勧めで、9月に新島の母校でもあるマサチューセッツ州アマーストアマースト大学に選科生として3年に編入し、新島の恩師J・H・シーリーの下で伝道者になる道を選んだ。
アマースト大学最終学年の内村鑑三(1887年)
在学中、アマースト大学の総長であり牧師でもあるシーリーによる感化を受け、宗教的回心を経験した。1887年(明治20年)に同大学を卒業し、Bachelor of Science(理学士)の学位を受ける。続けてシーリーの勧めで、コネチカット州ハートフォード神学校(英語版)に入学するが、神学教育に失望し、1888年明治21年)1月まで学業を続けたが退学。神学の学位は得ないまま、5月に帰国。

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