『貧乏ってのはするもんじゃねえ。「たしなむ」もんです。 古今亭志ん生』
貧乏は、いつの時代でも共感性が高い言葉なのかも知れません。
でも、「うちは貧乏だから」を鵜呑みにすると、たちまち、その現実とのギャップに違和感を覚えることでしょうね。
世の中には「本当に貧乏な人」、「そこそこ貧乏な人」、「お金持ちだけど貧乏を装っている人」
「普通を装う貧乏な人」、「本当に普通な人」、「お金持ちを装う貧乏な人」
掻き出したらキリが無いほど、「貧乏」は、現実と理想のギャップがある言葉ではないでしょうか?
私は、海軍燃料省の遺物のバラックで育ちましたから、貧乏のかけらを味わいました。同級生に医者の息子が居て、「バラックに住んでいる」と笑われた事があります。
家なんて「住めば都」です。当人にとってみれば、それが当たり前の城なのですからね。
それしか知らないというのは、最大の強みなのかも知れません。
断熱なんてなかったですが、最近おしゃれだと流行っている薪ストーブをガンガンにつけて暖かかったですし、何よりも、しっかりした基礎がなかったのに地震に強かったです。
それもそのはず、平屋建てで、屋根がトタン張りで軽かったから、当然と言えば当然ですね。
冒頭は「びんぼう自慢(筑摩書房)」の中のフレーズです。
この本には、著者の父のこと、少年時代、売れなかった極貧時代、なめくじ長屋の真実、関東大震災、三道楽、満州慰問、息子たち(金原亭馬生、古今亭志ん朝)のことなど…志ん生伝説が記されています。
古今亭志ん生の酒と奇行などで波瀾万丈すぎる人生は、落語家として生きる基礎を為していたように感じられます。
今でも、根強い人気がある噺家です。
「貧乏をたしなむ」と、心豊かに生きられるのかも知れません。
この貧乏から抜け出したいともがいていても、ネガティブな感情が渦巻き、他人を責め、世間を責め、果ては自分を責め続ける人生になりかねません。
経済状態がどうであるかとは別に、心の状態をどのように感じていくかという課題と可能性を感じさせられるフレーズですね。
五代目 古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう、1890年〈明治23年〉6月5日 - 1973年〈昭和48年〉9月21日)は、明治後期から昭和期にかけて活躍した東京の落語家。本名∶美濃部 孝蔵(みのべこうぞう)。生前は落語協会所属。出囃子∶「一丁入り」。戦後を代表する落語家の一人と称される。