『ことば→音声→息→命→神…ヨハネの福音書(1章1節)「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」(ありのままを生きるp41より)』
ことばの達人である東後氏は、上記のようにたどり着いた。
発音、イントネーションを大切にする東後氏ならではの実践的でありながら理路整然とした理解の仕方と感じる。
また、
『ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ1:14新改訳2017)』
とあるように、主イエス・キリストご自身が、創造主の第二位格として、ことば(メッセージ)として、肉体に宿って、人間と共に住んで下さったのです。
『そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。(イザヤ55:11)』
このイザヤの預言が成就したのですね。
人間は「ことば」を用いて、コミュニケーションをするのですが、同じ発音や同じ表記の「ことば」でも、発信する人によって、込められる意味合いが異なるのです。
そこで、ミスマッチが起こり、スムーズなコミュニケーションができない要因となってしまうのですね。
創造主である神の三位格は、唯一の存在であり、一致して、全知全能、また、遍在の存在なのですね。
あなたには、この「真のことば」は届きましたか?