永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ホンモノの関係とは?

『本物の友情は決して穏やかではありません。byセヴィニエ公爵夫人マリー・ド・ラビュタン=シャンタル(世界の名言名句1001より)』

以前にも、『真実の愛は決して平坦ではない。』というシェイクスピアの劇中のフレーズを紹介しましたが、それとよく似た言い回しですね。

お互いの関係を悪くしたくなければ、よかれと思っても、言わずにおくくらいがさじ加減として求められることもあります。

しかし、本当に相手に対しての思いやりを発揮したいと思ったら、相手に心に刺さるアプローチも必要になります。

そのピュアな思いやりのアプローチが、相手に届けば、より良好な関係に発展するでしょうが、そうはいかないケースも多々ありますね。

タイミングや伝え方の課題もあるのはもちろんですが、絶対に相手が受け止めるという保証もないのが現実ですね。

耳の痛いことも指摘し合えるホンモノの良好な関係を築いていきたいですね。

何が降ってくるか分かりませんね。

2018年にアメリカ・カリフォルニア州で起きた火事は、一説によれば、直系10cmの火の柱(レーザー)が降ってきたと指摘されています。

検証の画像では、自動車のアルミホイルが溶けているので、少なくとも600℃以上の高温になっていて、一般的な火災とはずいぶん状況が異なるとの指摘も散見されました。

d.hatena.ne.jp

これらを踏まえて考えると今までになかった現象が起きたのでしょうね。

何がどうなったのかは、説明できませんが、そこにあったはずの住宅は、無残な焼け野原になったという事実は残っていますね。

また、住宅をなくした方々にとっては、言葉も見つからないほどに打ち拉がれていることでしょうね。

被災された方に、心からお見舞い申し上げます。

宇宙軍の創設をアメリカのトランプ大統領がいち早く公にしましたが、レーザー照射とか、マイクロウエーブ照射などと関わりがあるのかも知れませんね。

ハラハラする時代

スリル満点でハラハラするというよりも、ハラスメントのハラハラです。

「ハラスメント」とは、嫌がらせや相手を不快にさせる行動のことですね。

パワーハラスメントセクシャルハラスメントモラルハラスメント、アルコールハラスメント、スメルハラスメントなどたくさんあるそうです。

35種類のハラスメントが紹介されているサイト

business-textbooks.com

権力を笠に着ての振る舞いは、パワーハラスメントと受け取られかねません。

受け手にとって歪んだ性的な発言は、セクシャルハラスメントと認定されてしまいます。

モラルを逸脱すれば、モラルハラスメントですね。

気になる匂いを出せば、スメルハラスメントと言われてしまいます。

アルコールを無理強いすれば、アルコールハラスメントで吊し上げられます。

至る所に配慮しないといけない時代なのですね。

いつの時代も、配慮に満ちた人はいました。そして、そう言う人は人望を集めていました。

しかし、ゆとりのない時代になったせいか、配慮なく自己中心的な振る舞いをする人口が急増してしまったのか、「ハラスメント」という指摘で、抑止効果を狙っているのでしょうか?

基本は、相手に対する配慮と尊敬の念(リスペクト)があれば、受け取る相手も良いニュアンスで受け取ってくれると考えたいですね。

ハラハラすることなく、配慮ある言動を心がけたいモノです。

ああ勘違い

『ある人は「私はパウロにつく」と言い、別の人は「私はアポロに」と言っているのであれば、あなたがたは、ただの人ではありませんか。アポロとは何なのでしょう。パウロとは何なのでしょう。あなたがたが信じるために用いられた奉仕者であって、主がそれぞれに与えられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。植える者と水を注ぐ者は一つとなって働き、それぞれ自分の労苦に応じて自分の報酬を受けるのです。私たちは神のために働く同労者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。コリント第一3:4-9』

人間は群れるタイプと孤高のタイプなど様々ですね。

コミュニティを形成するとなると、いかにうまく群れるかを考える人が美味しいところを持って行きそうです。

ここでは、パウロに着くかアポロに着くかを肉眼的に考えている人たちに対して、パウロの投げかけたテーマです。

パウロでも、アポロでも、神に立てられた器(メッセンジャー&指導者)であって、本質は神との関係をどのように確立するかであるということですね。

植えるとは、開拓伝道で導くと言うことであり、水を注ぐとは牧会者として霊的成長を助けることを指しています。

植物の例えは、種を蒔いて、水を与えて、栄養が必要なら与えて育み、花を愛で、果実を喜ぶというステップが聞いている側にとってはイメージしやすいからなのでしょうね。

手柄は、群れの指導者が賞賛されるのではなく、それぞれの働きを通じて、祝福の源泉である一人一人を成長させた神こそが、賞賛されるのが本分なのだということですね。

指導者の役割や働きに対する報いも考慮される要素です。

しかし、創造主である神よりも崇められることのないように気をつけるコトが肝要なのですね。

セグウェイを操るロシアのフクロウ

twitter.com


以前にも「おそロシア(クマ)」の動画を紹介しましたが、今回は、フクロウです。

筆者もセグウェイにのった事があるのですが、操作に慣れるまで、若干の時間を必要としました。

この動画のフクロウは、持ち前の見事なバランス感覚で、自在に操っているようにもみえます。(おそらくリモートコントロールではないでしょう。)

そもそも、自由の翼を持つフクロウが、セグウェイに乗らなくても移動は簡単なはずです。

しかし、これができるところが「知恵の象徴」とされる所以なのかも知れませんね。

このまま、フクロウがセグウェイに乗り続けると、メタボフクロウという珍種ができるかも知れませんね。

知恵を使って適度な栄養と運動を心がけたいと思います。

地上生活に耐えられそうにない気象変動

ここ数年の日本の夏の酷暑は、老若男女を問わず、体力を奪われて、過ごすのも大変という以外のコトバが見つからないほどの過酷さでした。

偏西風の蛇行が要因などと説明されますが、今イチ合点が行かない気持ちです。

35℃から40℃と言われる連日は、健康体とされる成人でも、結構ハードな環境ですから、コンディションが悪い人には、さらに辛い日々のようでした。

秋になり、涼しく感じられるのも平年よりも1ヶ月ほどのズレがあったり、暑い日があったかと思うと一転涼しい日が続いたりの寒暖差があったり、身体が気候に慣れることができずに困りましたね。

コンディションが悪い人の訴えは、「(気候変動が大きい)地上生活に耐えられそうにない。」というもので、「本当に耐えられなくなったら、天国に引っ越す時なんだね。天国行きのパスポートは準備できているから大丈夫だね。」というやりとりをしたこともありました。

日本の四季というワードは、日本は穏やかで過ごしやすいというニュアンスがあるので、ここ数年の日本は、それには当てはまらないという現状です。

この気象変動が、新たな、天変地異を誘発することがないように祈るばかりです。

怒りの日、さばきの日

『彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。また私は見た。子羊が第六の封印を解いたとき、大きな地震が起こった。太陽は毛織りの粗布のように黒くなり、月の全面が血のようになった。そして天の星が地上に落ちた。それは、いちじくが大風に揺さぶられて、青い実を落とすようであった。天は、巻物が巻かれるように消えてなくなり、すべての山と島は、かつてあった場所から移された。
地の王たち、高官たち、千人隊長たち、金持ちたち、力ある者たち、すべての奴隷と自由人が、洞穴と山の岩間に身を隠した。そして、山々や岩に向かって言った。「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」(ヨハネ黙示録6:10-17新改訳2017)』

迫害を受けて殺された聖徒の叫びと、その時が迫った地上の支配者とその従者たちという構図ですね。

さばきの日が迫ってきたと感じた人たちは、洞穴と山の岩間に身を隠して、「私たちの上に崩れ落ちて、御座に着いておられる方の御顔と、子羊の御怒りから私たちを隠してくれ。神と子羊の御怒りの、大いなる日が来たからだ。だれがそれに耐えられよう。」と叫ぶというのです。

それほどまでに、「神と子羊の御怒りの、大いなる日」を恐ろしく感じているのですね。

岩の下敷きになる方がまだ良いと考えるほどですから、見つかって、白日の下にさらされることを余程恐れているのでしょうかね?

今の汚職が疑われている政治家を思い浮かべてしまいますね。

「自分は間違っている資料は(廃棄して)ないのだから、間違ってはいない。」などといっている人が多いですからね。

法治国家であれば、三権分立や司直に期待するのでしょうね。

また、信仰者は自ら復習せずに創造主である神に怒りを任せる訳ですから、この世にいる無力な人間としては「水戸黄門」を見ていくらか溜飲が下がれば良いのですがね。

このあたりが水戸黄門の再放送が愛されている理由かもしれないですね。