永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

星の数を定めて名前をつける

『主は星の数を数えそのすべてに名をつけられる。われらの主は偉大であり力強くその英知は測り知れない。(詩篇147:4-5新改訳聖書2017)』

多いという形容は、「星の数ほど」とか「浜辺の砂のように」などがあります。

夜空を見上げても、「満天の星だあ」と表現しても、星の数が何個あるとは数えられないものですね。

天体観測をしている方の中には、新しい星をみつけると、星の名前を命名することができるなどと聞いたことがあります。

でも、創造主である神は、数もご存知で、しかも、そのすべてに名前をつけているというのです。

人間は、人間の都合で様々な名前をつけていますが、創造主である神による名前はまた別にあるというのですね。

ヨブ記の中には、創造主である神とヨブとの対話が出てきます。

その中で、今で言う「スバル」や「オリオン」(ヨブ記38:31)を指した記述が出てきます。

やがて、創造主である神が、創造されたものに名前をつけた根拠も含めて知らされるのでしょうね。

非常に興味深い、人知では計り知れない領域ですね。

ウマすぎて悶絶するリス

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なにか混入されていたのでしょうか?

リスが何かを一生懸命ムシャムシャ食べています。

よほどおいしかったのでしょうか? 仰向けに倒れ込んでしまいます。

小さな子どもの場合は、美味しい食べ物を眼の前にしながら、睡魔に襲われて、寝落ちしてしまうということもありますね。

ここまで美味しいものを味わってみたいですね。

信仰者の行く末は?

『【主】への恐れは日数を増やす。悪しき者の年は短くなる。(箴言10:27新改訳聖書2017)』

 

創造主である神に敬意を払うこと、その御心を受け入れることが、信仰者の基本姿勢です。

もし、そうするならば、「日数を増やす」と記されています。

でも、実際に世の中では、信仰者でも長生きをする人と、短命に終わる人がいます。

結論から言えば、肉体的生命に生かされている私達にはわからないのですね。

それを踏まえた上で、考える必要があります。

人生の目的を長寿や地上の富や立身出世だと考えるのと、平安につながる道はどれなのかと考えるのは大きく違うのですね。

地上での繁栄を体現している信仰者も多くいます。しかし、それが創造主である神よりも大きな存在になってくるとバランスがおかしくなってしまうケースもあるのです。

ヨブのように地上の繁栄が、平安につながるルートと重なっていれば腰が低く謙遜な歩みができるのかも知れません。

信仰者の特権として、肉体的生命が何年であろうと、信仰の歩みを始めたときから、永遠の一日一日を永遠の幸福マインドで過ごすことができるのです。

金よりも 黄金よりも 真珠よりも

『金ではなく、わたしの訓戒を受けよ。選り抜きの黄金よりも、知識を受けよ。知恵は真珠にまさり、どんな喜びも、これとは比べられないからだ。知恵であるわたしは賢さを住まいとする。そこには知識と思慮がある。箴言8:10-12(新改訳聖書2017)』

箴言に収められている多くの教訓は、統一イスラエルで一番繁栄したソロモン王によるものです。

ソロモンは、金や黄金に囲まれる生活をおくっていたようです。

しかし、その彼が、金よりも訓戒、黄金よりも知識、真珠よりも知恵といっているのです。

ソロモン王が、ダビデ王の次の王として即位した時に、創造主である神に、「一つ欲しいものはなにか?」と問われ、「知恵」を求めたのです。

その時に与えられた「知恵」によって、与えられた役割を勤め上げたのですね。

そして、「どんな喜びも、…比べられない」といいます。

それほど、「知恵」は素晴らしいものなのですね。

グローリア・イン・エクセルシス・デーオ

「Gloria in Excelsis Deo!」とラテン語では綴るそうですね。

これは、「いと高き所では、神に栄光があるように、地には平和があるように」という意味があります。

賛美歌に「荒野のはてに」というものがあります。

そのコーラス部分が、「グローリア・イン・エクセルシス・デーオ」のくり返しが出てくるのですね。

『すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和がみこころにかなう人々にあるように。」(ルカ2:13-14【新改訳2017】)』

御子イエス・キリストが誕生した知らせを羊飼い達が受けたその時、天の軍勢が讃美した、これが、ルーツなのですね。

静まりかえった荒野に響き渡る天の軍勢の讃美は、さぞかし羊飼い達を奮い立たせたのでしょうね。

羊飼い達は、戸籍登録の対象ではなく、いわば人間扱いされていなかったのですね。

その人達の所に、いち早く、メシアであるイエス・キリストの誕生が知らされたのです。

「みこころにかなう人々…」とは、メシアであるイエス・キリストを自分の救世主だと信じる信仰者のことを表すのです。

この喜びの訪れは、アブラハムイサクヤコブの子孫であるイスラエル人だけではなく、全人類のために備えられ、整えられたモノなのです。

男の器量

男性の肝臓は、一生で約500kgのアルコールを処理することができるのだそうです。

もちろん体格差や性能差がありますから平均的な数値のことですね。

これを80年で割ると、毎日おちょこ一杯分くらいでしょうか?

お好きな方には、到底ストップできない量でしょうね。

自分のため、または、家族のため、様々な逆風が吹く中でも、忍耐を持ってコツコツと仕事に励んでいるのですから、お好きな人は、グイッといきたいでしょうね。

大工さんの中でも、仕事が終わってからの、一杯のビールが楽しみで、昼からは、水もお茶もおまんじゅうも口にしないという人がいました。

一杯のビールを楽しみに設定して、仕事を頑張っていたのですね。

脱水症状の危険がありますから、その大工さんは、ずいぶん危ないことをしていたのですね。

口当たりという話は、ノンアルコールでも、よく似た風味に仕上がっているそうです。

ですから、アルコール解禁となったら、グイグイ飲んでしまうようになるそうですよ。

習慣性があるモノにはご用心ですね。

同時代の人間には読めないです(¯▽¯)

知人とのやり取りです。

その結論部分にタイトルの一文がありました。

その通りなのですね。

イエス・キリストが赤ちゃんとして誕生した約2000年前のベツレヘムでは、羊飼いやメシア預言を歓迎する人は喜びに満たされましたが、その時に権力の座に座っていた人たちは恐れおののきました。

イエス・キリストが公生涯に入り、弟子達を増やしていった時も、イエス・キリストと弟子達の思惑には、大きな乖離がありました。

弟子達は、メシアであるイエス・キリストが来臨されたので、すぐにメシヤ的王国が始まると思い込んでいたのですね。

ですから、彼らには、誰が右大臣左大臣になるかの方が関心が高かったのです。

イエス・キリストが十字架に架かって死に、葬られ、復活するとは考えていたようには思えませんからね。

なので、同時代の人にはわからないことが多くあるのですね。

創造主である神を信じる信仰者には、その先に繋がる永遠の幸福はハッキリしているので感謝ですね。