永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

片付けは何を片付けるのか?

整理は、モノを捨てること

整頓は、モノをわかりやすく配置すること

整理整頓は、モノを減らして配置し直す。と言えばわかりやすいでしょうか。

部屋を心の変化に合わせることなのかも知れませんね。

以前は、あんなにも欲しいと思っていたモノが、今は邪魔に感じるほどになるということもよくありませんか?

それこそ、心の変化なのでしょうね。

あのときの自分は、「それが必要だったのでしょうね。」

そして、今の自分には、「それが必要じゃないのでしょうね。」

そう思って、整理を進めると、罪悪感を持たずに処分できそうですね。

モノでも、行為でも、同じようなモノみたいなので、手放せる時がくるという事でしょうね。

情報操作はされているのが当たり前なのかも

その気になれば、技術を悪用するデジタル時代である。

飾らない人は少数派な世の中ですから、多数派の外見を少しでもよく見せたい人たちはかなり努力を重ねているでしょうね。それは、努力の方向性として当然のことですよね。

ただその上に、盛りすぎる粉飾的な動きもあるみたいですね。

アメリカ大統領就任式の参加者の映像を入場途中の写真を報道して、新大統領の人気が無いかのように見せてみたりする粉飾報道もあったらしいのです。

大メディアが、そこまでして、人をおとしめて、何を得ようというのか首をかしげる。

悪あがきであれば、見ている側からすれば、とても痛々しく見えてしまう。

ことばも出ず、ため息しかでてこない。

これが、世の中の日常だとすれば、ため息も尽きる。

だから、ニュースの裏側を見据えて、いくつかのメディアを比較検証することが、重要なのでしょうね。

宗教は金がかかる場合も 信仰は無代価

「心のスキマおうめします」なんてフレーズがありましたね。

喪黒福造が登場したのは、『笑ゥせぇるすまん』は、藤子不二雄Ⓐによる日本のブラックユーモア漫画作品。

人は、心の空間をユトリととらえずに、スキマだから埋めなきゃいけないと考えるのでしょうか?だとしたら、喪黒福造さんは大繁盛(商売ではないみたいですが)ですね。

言い換えれば、充足感を得るための何かを人は求めていると言うことでしょうね。

札やツボからニーズを探っていくと宗教的な要素にたどり着き、その実は、ずばりお金がかかってしまうことになります。

それと対極にあるのが、信仰あるいは信念です。これは、基本的に無代価です。自分が確信を持ったことを信じるだけですからね。(そこにたどり着くコストは必要でしょうけど)

でも、この二つの差は非常に大きいのではないでしょうか?

目の前の金が増減するだけではなく、そのお金の流れを変える事ができる可能性があるからです。

お金で、物事を解決しようとしても限界があります。そんな時には、優先順位を考え直すことも大切なことですよね。

中身が充実していないと空しさがつのるだけですから。

トドのつまり

あれも欲しいこれも欲しいと思ってしまうが、実際には、無くても困らないモノが圧倒的に多いのが本当のところですね。

世の中の景気は、その物欲に支えられていて、それに左右されることもあるようです。

高級車やブランドモノを余裕として、あるいは、意図して楽しむのなら、いいことだと思うし、経済貢献にもなるのでしょうね。

貢献した人は、感謝状もらえますね。

しかし、今、富の偏在が取り上げられていて、その富豪たちは、巨万の資産を握りしめていて、何をしたいのか?私には理解が及ばない。

その人たちは、今は富を握りしめているつもりなのかもしれないが、やがて、肉体を脱ぐ時、もれなく手放していくのだ。

そして、亡骸と共にその富をこの世に遺していくのですね。

「人、全世界を儲くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を与えんや(マタイ16:26)」

肉体の幸福はほどほどに、魂(霊体)の幸せを永遠に切り替えておけば、ずっとハッピーなのにということをこのフレーズは強く語っているのですね。

「トドのつまり」とは、あの大きな体のトドではなくて、出世魚であるボラの一番成長した状態の呼び名なのですね。

自分の「トドのつまり」がどうなるのかが、重要なのですね。

ゴールよりも中継点が大切

人生はマラソンのように持久力が求められる要素がありますね。

短距離に強い人は、長距離は苦手という人の比率が高いのかも知れません。

でも、実際の所、人生は駅伝というイメージがわかりやすいと感じています。

結婚のことをゴールインなんて言ったりしますよね。

でも、結婚は新生活のスタートですから、そこをゴールだと決めてしまうと、その先で燃え尽きてしまう人もいますよね。

マイホームを手に入れることをゴールだととらえても、そこで、燃え尽きてしまう可能性もあります。

ですから、人生は「人生ゲーム」のように、波乱に満ちているのが実際で、鉄板(確実にこうなる)なんてことは存在しないのだと、基本的に考えておいた方が良いみたいですね。

あらゆる可能性があるので、こうなるかも知れないとか、ああなるかも知れないとかですね。

であれば、自分の人生を客観的に楽しむくらいの余裕で臨みたいモノですね。

老いる を感じること

成長は、今日より明日が、いや、昨日よりも今日、できることが一つでも多くなっているような、右肩上がりの希望が膨らむ状態ですね。

しかし、それは、いつしかピークを迎え、昨日よりも、時間がかかるようになり、根気が続かずに、できることが減っていく、そんな時期にいつかは誰でもさしかかる。

その時に、人は老いるを感じるのだろう。

そして、その事実を受け止めるのに勇気がいるのでしょうね。

できなくなっていくことが増えれば増えるほど、悲しさやつらさが増す、周囲に助けてくれる人がいても気持ちは落ち込んでしまう。

でも、成長がピークを迎えても成熟はいい感じにしていくのでしょうね。

成熟とは、事実を受け止めて、よりよく立ち回るということなのかもしれません。

老いるというより、成熟の極みに向かっているのだと考えると、マインドも変わるのではないでしょうか?

最近変わった夢を見る

眠りが浅い時に夢を見ると聞きます。

最近眠りが浅いのか?不思議なストーリーの夢を見ることがある。

昔のなつかしいプレイバックだったり、ウサギが出てきたりする。

もしかして、走馬燈のようにかけめぐるとか、このようなことが、今までの生涯分出てきたりするのだろうか?なんて、考えて見たりもする。

そうだとしたら、いや、そうでなくても、残りの時間どのように充実させるか、ここからが正念場だと思っている。