永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ペリクスの前で 使徒の働き24:1-23

『24:1 五日後、大祭司アナニアは、数人の長老たち、およびテルティロという弁護士と一緒に下って来て、パウロを総督に告訴した。
24:2 パウロが呼び出され、テルティロが訴えを述べ始めた。「フェリクス閣下。閣下のおかげで、私たちはすばらしい平和を享受しております。また、閣下のご配慮により、この国に改革が進行しております。
24:3 私たちは、あらゆる面で、また、いたるところでこのことを認め、心から感謝しております。
24:4 さて、これ以上ご迷惑をおかけしないために、私たちが手短に申し上げることを、ご寛容をもってお聞きくださるようお願いいたします。
24:5 実は、この男はまるで疫病のような人間で、世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている者であり、ナザレ人の一派の首謀者であります。
24:6 この男は宮さえも汚そうとしましたので、私たちは彼を捕らえました。
24:7 【本節欠如】
24:8 閣下ご自身で彼をお調べくだされば、私たちが彼を訴えております事柄のすべてについて、よくお分かりいただけると思います。」
24:9 ユダヤ人たちもこの訴えに同調し、そのとおりだと主張した。
24:10 そのとき、総督がパウロに話すよう合図したので、パウロは次のように答えた。「閣下が長年、この民の裁判をつかさどってこられたことを存じておりますので、喜んで私自身のことを弁明いたします。
24:11 お調べになれば分かることですが、私が礼拝のためにエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。
24:12 そして、宮でも会堂でも町の中でも、私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを見た者はいません。
24:13 また、今私を訴えていることについて、彼らは閣下に証明できないはずです。
24:14 ただ、私は閣下の前で、次のことは認めます。私は、彼らが分派と呼んでいるこの道にしたがって、私たちの先祖の神に仕えています。私は、律法にかなうことと、預言者たちの書に書かれていることを、すべて信じています。
24:15 また私は、正しい者も正しくない者も復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神に対して抱いています。
24:16 そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。
24:17 さて私は、同胞に対して施しをするために、またささげ物をするために、何年ぶりかで帰って来ました。
24:18 そのささげ物をし、私は清めを済ませて宮の中にいるのを見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。
24:19 ただ、アジアから来たユダヤ人が数人いました。もしその人たちに、私に対して何か非難したいことがあるなら、彼らが閣下の前に来て訴えるべきだったのです。
24:20 そうでなければ、ここにいる人たちが、最高法院の前に立っていたときの私に、どんな不正を見つけたのかを言うべきです。
24:21 私は彼らの中に立って、ただ一言、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前でさばかれている』と叫んだにすぎません。」
24:22 フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていたので、「千人隊長リシアが下って来たら、おまえたちの事件に判決を下すことにする」と言って、裁判を延期した。
24:23 そして百人隊長に、パウロを監禁するように、しかし、ある程度の自由を与え、仲間の者たちが彼の世話をするのを妨げないように、と命じた。 使徒の働き24:1-23新改訳2017』

あらすじ
パウロ殺害計画が発覚し、千人隊長は、直ちにパウロをカイザリヤに移送しました。千人隊長は、総督ペリクス宛の手紙を用意し、ペリクスは、パウロを丁重に留置しておくように命じたのです。

パウロに対するユダヤ人たちの訴えがはじまります。

1~2節aでは、ユダヤ人たちのパウロに対する激しい憎しみをもってカイザリヤに、パウロがエルサレムを発ってから5日後にやって来たのです。大祭司アナニヤ自身と、議員たちが、弁護士のテルトロを伴ってきたのです。このテルトロはラテン名で、パウロのようにヘレニストのユダヤ人である可能性が大です。彼は、パウロを総督に訴えるために雇われたのです。弁護士というギリシア語は、「レトロス」で、雄弁家を意味します。

この一行には、最初のパウロを捕えたエペソから来たユダヤ人たちはいなく、また、陰謀を企てた40人のユダヤ人たちもいなかったのです。

2b~4節で、弁護士テルトロはペリクスに対してお世辞(へつらい)の言葉を使っています。「閣下」(クラティストス)は、ペリクスよりも高位の人に使うタイトルです。

「すばらしい平和を享受」は、半分事実ですが、その平和は恐怖政治の結果だったのです。「心から感謝しております。」は、全くのお世辞です。これは、その平和をパウロが乱しているという訴えをするための準備だったのです。

「手短に申し上げること」というのは、当時の話し手も、話は短く終えることを約束しても、長くなることが多かったということが想像できます。今も、その状況は同じで、「甚だ簡単ではございますが…」などとようやく終わるような定型を成しているのです。

5~9節では、3つの政治的な意味を持つ訴えがなされました。

①世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている。「疫病のような人間」という表現を使っています。

②ナザレ人の一派の首謀者だという主張です。ユダヤ教はローマの公認宗教でした。そこであえて「ナザレ人の一派」という用語を使ったのです。パウロの信仰はユダヤ教とは別のもので、異端であるとの印象を与えたのです。

③宮さえも汚そうとしました。「ギリシア人を宮の中に連れ込んで、(使徒の働き21:28)」が騒動の原因ですが、ここでは、その説明が抜けています。この当時、ローマ帝国は、神殿を汚した者の死刑を認めていたので、パウロを死刑に処すべきであるという理屈が成り立つからです。

この中には、虚偽の報告が含まれました。「私たちは彼を捕らえました。」は、嘘であり、暴動を起こしたのは、ユダヤ人たちと言うのが事実でした。

千人隊長の手紙の内容と合致する部分について、総督は納得したでしょう。

かつて、イエス・キリストも、また同様の訴えを受けました(ルカ23:2参照)。

使徒の働き24:6b~8aは、信頼できる写本にはありません。新共同訳によると「そして、私どもの律法によって裁こうとしたところ、千人隊長リシアがやって来て、この男を無理やり私どもの手から引き離し、告発人たちには、閣下のところに来るようにと命じました」(新共同訳)とあります。

同席していたユダヤ人は、訴えの内容に同意し、総督ペリクスが直ちにパウロを処刑することを期待したのです。それは、ペリクスが、ローマに敵対する者たちを平気で十字架に付けていたからです。

ここから、訴えに対するパウロの弁明がはじまります。

10節から、パウロは、弁護士テルトロよりも誠実で真実な言葉を語りました。ペリクスは5年以上もユダヤ総督を務めていて、ユダヤ人のことに関して的確な判断をしてもらえるはずと考え、テルトロよりも簡潔な導入を採用したのです。

11~13節では、1番目の訴えに対する反論(世界中のユダヤ人の間に騒ぎを起こしている)です。パウロは、エルサレムに上って来てから、まだ12日しか経っていないので疫病のような存在になる時間的余裕はなかったと語りました。また、自分は、誰かと論争したり、群衆を騒がせたりしたことはないので、訴えている者たちは、証拠を上げることができないはずだとを証言したのです。

14~16節では、2番目の訴えに対する反論(ナザレ人の一派の首謀者)をしています。パウロが信じている内容は、異端ではなく、「この道」で、この信仰は、旧約聖書から出たものであり、ユダヤ教と調和するという主張です。律法と預言者を全部信じ、復活の希望を抱いているので、良心を保つように最善を尽くしていると証言しました。

大祭司アナニヤはサドカイ人であるので、復活を信じていなかったのです。パウロが訴えられているのは、宗教的な理由なのです。パウロと大祭司アナニヤは、復活に関して意見が異なったのです。

17~18節では、3番目の訴えに対する反論(宮さえも汚そうとしました)をしています。パウロは、エルサレムに上ったのは、同胞に施しをし、供え物をささげるためであり、神殿で騒ぎを起こしていないし、異邦人を神殿に連れ込んでいないと主張しました。事実は、神殿以外でアジアから来た幾人かのユダヤ人が自分と一緒にいたと言うことです。

19~21節で、最初に神殿でパウロを捕えた者たちは、ここにはいないので、彼ら自身が総督の前で訴えるべきだと主張しました。ローマ法では、途中で訴えを取り下げる者は厳しく罰せられたのです。彼らがいないということは、パウロを訴える理由がないということなのです。

今、パウロを訴えている者たちが、パウロの不正を証明するべきだったのです。彼らは、サンヘドリン(大祭司、サドカイ人、パリサイ人)での裁判の際に、そこにいたのです。

パウロは、一言『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前でさばかれている』と叫んだだけだと主張しました。これは、パウロは、弁明しながら伝道しているのです。

これで、ペリクスは、微妙な立場に置かれました。ユダヤ人たちの神学論争に介入しなければならなくなったのですが、ユダヤ人たちの機嫌を損ねたくないというジレンマを抱えることになったのです。

22~23節で、ペリクスが応答しています。
ペリクスは、「この道」について相当詳しい知識を持っていました。それは、ユダヤ人の妻ドルシラ(ヘロデ・アグリッパⅠ世の娘)が最大の情報源でした。また、ユダヤから来たローマ人やユダヤ人も、さらに、ローマ帝国内の他の地域に住む人たちも情報源だったのです。

ペリクスは、ユダヤ人たちとの平和を維持しようとしました。その一つが、千人隊長が来るまで裁判を延期するというものでした。でも、ペリクスには千人隊長をカイザリヤに呼ぶつもりはありませんでした。すでに、千人隊長の手紙で、パウロが無罪であることを知っていたので、裁判を無期限に延期するという判断をしたのです。

ここからカイザリヤでパウロ2年間の拘留生活が始まりました。

パウロは、危害を加えようとするユダヤ人たちから隔離されたのです。パウロは、ある程度の自由が与えられ、友人たちが世話をした。その友人とは、アリスタルコス、ルカ、伝道者ピリポなどだと考えられます。

◆復活について
パウロの弁明の中心は、復活でした。復活は、旧約聖書(律法と預言者)に預言されている真理です。この復活をどのように理解しているかで、その人の生き方が決まるのです。パウロは、良心に恥じないように歩んでいました。

キリスト教は、復活信仰です。各人が、キリストは、私の罪のために死なれたのか? キリストは、復活されたのか? をどのように受けとめるのかを問われているのです。

パウロは、義人の復活と悪人の復活を信じていました。パウロが義人と悪人の復活に言及するのは、新約聖書ではこの箇所だけです。

義人と悪人の復活を教える聖句は、ダニエル12:2、ヨハネ5:28~29にあります。

聖書は、第一の復活と第二の復活を区別しています。第一の復活は、ヨハネの黙示録20:5~6に記されています。第一の復活に与るのは、信仰者だけで、これには「初穂としてのキリストの復活」、「携挙の時点での教会の聖徒たちの復活」、「千年王国開始時点での旧約の聖徒たちと大患難時代の殉教者たちの復活」という順番があります。

「この人々に対して、第二の死は何の力も持っていない。彼らは神とキリストの祭司となり、キリストとともに千年の間、王として治める。(6)」とあるように、キリストを信じる者は、肉体の死は経験するが、永遠の滅びに入ることはないのです。この第二の死とは、永遠の滅びのことです。

第二の復活は、ヨハネの黙示録20:13~15にされています。不信仰者の復活は、第二の復活と呼ばれます。この第二の復活は千年王国の終わりに起こります。第一の復活と第二の復活の間には、約千年間の隔たりがあるのです。

第二の復活も、順を追って起こります。それは、「反キリストの復活」、「白い御座のさばきの前のあらゆる時代の不信仰者たちの復活」、と続きます。反キリストの復活と不信仰者たちの復活の間には、約千年間の隔たりがあるのです。

第一の復活は、創造主である神【主】から「栄誉と祝福を受けるため」のものです。これに対して、第二の復活は、創造主である神【主】からの裁きを受けるためのものなのです。不信仰者の肉体とたましいとが合体して、白い御座のさばきを受けるのです。

キリストの贖いの御業を受け入れるかどうかが、その人の永遠の運命を変えるのです。

わかりやすい聖書ガイド
ヨハネの黙示録スタディノートブック
Amazon Kindle版 ペーパーバック版好評発売中

※紙の印刷版は、ペーパーバッグ版を選択して下さい。