『◇望洋の嘆(ぼうようのたん) (中国の故事成語)
偉大な人物や、深遠な学問を前にして、自らの力が不足していることを嘆くさま。しかし、元々は「亡羊の嘆」ないしは「多岐亡羊」という言葉であったと言われる。 「亡羊の嘆(ないしは多岐亡羊)」とは、『列子』の中にある逸話で、逃げた羊を追いかけてみたものの道が多くて見失ってしまったことを嘆いているさまを表した言葉とされ、転じて、あれやこれやと思案に暮れていても結局真理にたどり着けない様子をたとえた言葉となった。一方、「望洋の嘆」という言葉は、福沢諭吉など明治期の日本人が多用していたようだ。』
逃げた羊を追いかけたという発想からできたフレーズだったのですね。
どうやら、福澤諭吉など明治の時代の方々が多用していたとあります。
牧羊で、大切な役割を果たすのは、羊飼いですが、その羊飼いを補佐するのは、牧羊犬です。
これは、「シェパード」「コリー」「シープドッグ」など多くの犬種があるようです。
体格も様々ですが、羊の群れを見事に誘導できる天賦の才能を持っています。
しかし、時には、群れから迷い出る羊も出てくるようです。
迷い出る羊は、例話に出てくるほど有名な「羊あるある」のようです。
冒頭のフレーズも、その流れを受けているのですね。
本来、動物には帰巣本能があると言われているのですが、羊は珍しいタイプなので、群れにいる事に意味がある動物なのでしょう。
羊を追いかける機会はなくても、思考の迷路に入り込む事もあります。
そもそも、探求している真理とは何なのでしょうか?
世の中には、ヒントはあっても、正解は無いと考えた方が良さそうです。
「80歳になってわかったこと」などというタイトルをつけられたら、なんとなく耳を傾けたくなってしまいます。
でも、それが、自分にとっての正解である事は、まず無いですよね。
なんとなく、あいまいな、私の人生これで良いのかな?
などというマインドが持てたなら、それが、自分にとっての一つの解なのかも知れませんね。
人生は、産声ではじまり、ため息混じりの嘆きで終わるのでしょうか?
それとも、幸福感に包まれながら、微笑んで締めくくれるのでしょうか?
どうせなら、無い物ねだりに終始せず、微笑んで穏やかに過ごしたいものです。
人生いろいろ、大方、正解なのでしょうね。