◆さまざまな流布を鵜呑みにせず確認を。
「いつ、何が起きるのか? その日時まで、正確に預言したら信じててもイイ」という考え方があります。でも、それが外れると、SNS全盛の時代、あちらからもコチラからも叩かれます。
しかし、ある程度の人は、荒唐無稽な話でも、一縷の望みをかけて信じる気持ちを持つ人がいます。「次は当たるかもしれない?」何かを信じることは大切な要素ですが、どのように信じるのかを深く考える必要があるのではないでしょうか。
キリスト教プロテスタントの終末論の中でも、多くの考え方があります。共通の聖書を正典としていても、その解釈には、かなりの開きがあります。その中で、自分が、聖書をどのように理解し、その預言を受け止めて行くのかが問われているのです。
ここに、提示する終末論は、ディスペンセーション神学に基づく考え方です。この視点では、「21世紀の今ココ」から、次に起きるのは、『ペンテコステ以降の信仰者(聖徒=普遍的教会)の空中携挙』です。これは、予告無しで、突然起きると受け止められています。信仰者は、それが、いつ起きても大丈夫なように生活をする緊張感を味わいながら、その時を待ちわびているのです。
さらに、イスラエルと世界統一政府の『七年間の平和条約』が結ばれた時からが、大患難時代がはじまります。イスラエルを取り巻く情勢は、緊迫感を増しています。また、エゼキエル戦争の下地も整いつつあるようです。時代の時計が進むその時は、今までよりも、イスラエルが国として存続が困難になるという状況ができて、なおかつ、世界統一政府の骨格がある程度、見えるカタチになった時に起きると推測できます。しかし、その時を決めるのは、創造主である神【主】なのです。
さらに、『ハルマゲドン戦い』という言葉も聞かれます。これは、大患難時代の最後の方(ヨハネの黙示録16章)で起きる「第六の鉢の裁きで、ユーフラテス川が涸れる時からはじまる」と考えられています。
これから先、今よりも、さらに、多くの情報がばらまかれたり、情報遮断が起きたりして、混乱していくことが想像できますが、そのような状況でも、聖書をヘブル的に解釈する原点が大切なのですね。
本書では、ディスペンセーション神学、千年期前携挙、未来的アプローチ、字義通りの解釈、ヘブル的解釈を採用しています。
人間には、目の前に起こる現象が、「神の命令によるのか?」「悪魔(サタン)に感化された誰かが起こす凶悪事件を容認されたのか?」の区別がつきません。あまりにも、理不尽すぎる人命に関わること(紛争、戦争、感染症さわぎなど)が、くり返されています。これらは、ヨハネの黙示録に記されている『七つの封印の裁き』や『七つのラッパの裁き』、『七つの鉢の裁き』などに酷似しています。人工的に、終末時代を演出して、メシアを呼ぼうとする考え方があるようです。しかし、それは、間違っています。そうでなくても、自分たちがしてきたことが破綻してきたので、破れかぶれになり、世の中を混乱させようとしているだけなのかも知れません。聖書には、メシア再臨の条件は、『イスラエルの民族的な悔い改め』であると記されています。大患難時代の究極的な目的は、そこにあるのです。
◆エゼキエル戦争はいつ起きる?
2022年2月ロシアがウクライナへ特別軍事作戦を開始した時に、しきりに、エゼキエル戦争が起きたと騒がれました。しかし、実際にはまだ起きていません。それは、エゼキエル書38章に記されている戦争で、その場所は、中東イスラエルです。ゴグと記されているのは「北の地域の指揮官の総称」を意味しています。それが起きる時期は、大患難時代の直前です。それにより、孤立を極めるイスラエルは、世界統一政府と七年の平和条約を結ぶことになり、それが締結されてから七年間が大患難時代ということになります。
それとよく似た戦争が、千年王国の最後に起こります。それは、悪魔(サタン)が一時的に解き放たれるために、その感化を受ける人たちを試すためです。
◆信仰者は、いつの時代にもいます。
聖書の中には、信仰者の歩みが記されています。イスラエルの祖として、創造主である神【主】から召命を受けたアブラハムをはじめ、【主】が悪魔(サタン)に対して自慢したヨブやエリコの町でイスラエルのスパイをかくまった遊女ラハブまでも、数多く挙げられています。
大切なのは、社会的地位や富めるものかどうかではなく、創造主である神【主】に対しての信仰的態度が評価されている点です。
預言書エリヤは、『ただ私だけが残り』、つまり、自分は独りぼっちだと【主】に訴えましたが、それに対する返答は『しかし、わたしはイスラエルの中に七千人を残しておく。これらの者はみな、バアルにひざをかがめず、バアルに口づけしなかった者である。』(1列王19:18)』でした。残りの者とも表現されますが、創造主である神【主】を信じる信仰者は、いつの時代にも、必ず存在するのです。全体からすると圧倒的に少数派ですが、全時代を合計するとどれくらいになるのかは、想像がつきません。