『22:6 若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。 箴言22:6新改訳2017』
教育に関しては、いつの時代にも論議があるようです。
自主性を重視するのか? 集団行動を重視するのか? などそれぞれの考え方で、方向性を定めにくい要素があるからなのでしょうか?
ただ、欲張りと言われても、自主性を持ちながら集団行動もある程度できるという理想を求めたいという気持ちがあります。
大切なのは、子どもを管理して支配しようとする方向性に気づく事だと考えています。
その上で、世の中に存在している人や価値観、そして、ニーズを伝えていく必要があるのではないでしょうか?
ただし、課題もあります。
教育しようとしている人の知見の範囲が、影響するからです。
広い知見と許容範囲の広さが求められているように感じています。
何よりも、養育者や子どもを見守る大人たちの生活習慣をお手本にする可能性があるからです。
何かの気づきを得た自分自身が、生活習慣をバージョンアップしていく事も肝要だと考えています。
何かを伝えることは可能でも、伝わる内容は、その人の実になっている内容しか伝わらず、それが、理想論だと受け取られると、かえって逆効果になる可能性が高いからです。
子どもは、大人の背中を見ています。
つまり、日常の生活習慣を見て、それをコピーするか、拒否するかを決定しているのです。
大人の威厳を見せようとして、実力以上の振る舞いをしても、空回りをしたり、逆効果になる要因は至るところに潜んでいるのですね。
今の社会には、多くの誘惑が渦巻いています。
それは、1945年からの日本洗脳政策が結実している一面でもあります。「3S」と言われるその手法は、「screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする」と言うモノです。
インターネットや小型端末、ゲーム機の爆発的普及によって、加速しているように感じます。
それぞれが、それらとの距離感を測りながら、自分の事として打開策を考えていく必要がありますね。
信仰者にとっては、優先順位が、創造主である神【主】を知り、畏敬の念をもって祈りによる交わりを通じて良好な関係を維持発展させることです。
さらには、教訓や模範や規律を自分自身が生かし、何があっても平安な毎日をおくる事ではないでしょうか?