私は、今のイスラエル共和国が国家的に【主】の御心に沿っているとは考えていません。イスラエルの否定や消滅を願うのではなく、聖書には、【主】の選民であるイスラエルが民族的に、あらゆる試練を通じて、より良い方向に導かれると記されている事に期待をしています。ですから、今の体制のイスラエルの完全勝利や全戦全勝とか、何をしても正義という発想を耳にすると、残念な気持ちになります。
1948年に建国されたイスラエル共和国と創造主である神【主】との関係はどうでしょうか? 経済的・技術的・戦略的に優れていると評価されても、倫理的な面、信仰的な面は置き去りにされているように見えます。色々な解決しなければならない問題が山積しています。
この先、万策尽きたタイミングで、現イスラエルの視点でホワイトナイトが登場し「七年の平和交渉」が持たれる事でしょう。その契約がまとまると大患難時代に突入という事になるのです。それは、いつ起きてもおかしくないのです。
ヨナ書には、異邦人の国「アッシリア」に関する記事があります。ヨナは【主】から悔い改めのメッセージを預かり、ニネベに行って「悔い改めなければ裁かれる」とふれて回ったところ、国家的な悔い改めに至り、【主】の裁きは回避されたのです。【主】は、異邦も国をも愛して用いられるのです。全人類の救済計画の一端です。
今の時代は、信仰は個人単位です。これは、ユダヤ人も異邦人も同じです。
でも、やがて、創造主である神【主】の選びの民としてのイスラエルの民族的な悔い改めに至ると記されています。それは、大患難時代の最終版の三日間だというのです。その悔い改めへの応答が「メシアであるイエス・キリスト再臨」なのです。
創造主である神【主】は、その時を忍耐して待っておられます。残念なことに、その時には、人口は半減しているという計算になります。その前に、それぞれのチャンス「今はめぐみの時」を生かして、個人単位で「永遠の幸福マインド」を手に入れて欲しいと願うばかりです。
拙文は、キリストの教えである聖書の主流とヨハネの黙示録にまつわる預言についてのスタディーノートブックです。聖書は、旧約聖書39巻、新約聖書27巻の66巻から構成されています。その最後に位置するヨハネの黙示録は、聖書全体のまとめ的な役割であり、これから起きることの預言の書でもあります。ここに、創造主である神【主】の人類救済のゴールや『究極的な大丈夫?』のヒントが記されています。
私は、聖書の学びをしてきましたが、神学校は入学も卒業もしていません。かつての使徒たちは、その点を『…二人が無学な普通の人であるのを知って驚いた。使徒の働き4:13新改訳2017』と見られました。彼らは、【主】からの使命で、聖霊(第三位格)によって大胆に語っていたのですが、イエスと共にいたという以外に、権威的な裏付けを求める人からは、懐疑的に見られていたのです。創造主である神【主】の基準と宗教的指導者の基準、そして、人がそれぞれの立場でどのように考えるのか?という思惑が、いつの時代にも渦巻いていると感じています。
それさえ無い私自身、聖書理解の途上であり、諸説ある中、完璧ではないと思っています。やがて、永遠の御国で創造主である神【主】の御前に立つ時に答え合わせすることになると考えています。そこに、たどり着くために『福音の三要素』を理解し、信仰していれば条件はクリアできると記されています。
聖書を読みながらモヤモヤとしている方々に、私が、学び直し確信を深めた軌跡をお分かちし、共有したいとの思いから記しました。どなたかのお役に立てていただけるならば、身に余る幸せです。祈りと共に、聖霊の助けが豊かにあるように願います。
なお、本書では、「新改訳2017」の文言をできるだけ採用しています。「聴くドラマ聖書」と合わせてご活用ください。
2024年8月7日 著者 デビッド・ブラックストン(David Blackstone)