社会生活を学ぶ場でもある保育機関があります。
その中で、大活躍をしている保育士さんの中にも葛藤があるらしいのです。
もちろん、その施設を運営している園の運営方針も絡んでいるので、複雑な話のようですね。
それは、「子ども主体」か? 「集団重視」か?というものです。
これは、『保育の「ヘンな文化」そのままでいいんですか?』の本のなかで、柴田愛子さんと大豆生田啓友さんがの対談されている内容から感じた個人の感想です。
例えば、折り紙について
大豆生田 ぼくね、自分が幼稚園で担任やってたときには、折り紙は半ば「(カリキュラムに入れるもの」っていうふうになっていて、だから思考停止していて折り紙は「させること」だったんです。しかも折り紙って一斉でやる文化でした。
柴田 そうなのよ!
生田 折り紙なんか一斉でやったら効率悪すぎなんですよね。スキルが問われるから個人差が大きすぎて、やめたいとか、抜けていいかとか、遊びにいっていいかって言われて、「いやいや、これも遊びだから」とわけのわからないこと言っちゃってね(笑)。
柴田 ほんとだよね(笑)。
大豆生田 ただやっぱり一斉型ではなくてコーナーに出しておくとおもしろくって。折り紙がすごく好きな子がいて、その子たちでやり始めるとえらく魅力的で。
この中に、課題とヒントを得た気持ちになりました。
技術の個人差は、当然あるので、その差によって、一斉という流れに綻びが出て、落ちこぼれを生み出し、脱走者まで生み出し、崩壊にいたる可能性があるのですね。
まあ、一斉というのは、トップダウン型です。これに応答できる人が多ければ成立しますが、そうではないケースも多々ありますね。
大豆生田さんの「一斉型ではなくてコーナーに出しておく」というアイデアは、ボトムアップを引き出す可能性を秘めているという印象です。
自発的行動こそ、意欲を引き出すために有益な方法はないと考えています。
自分が興味を抱いた何かに、挑んで行くという環境作りは、子どもと限らず、人間には必要だと感じました。
よく似たくり返しの人生をどの様に楽しんで生きていくか?
集団として、どのように秩序を守っていくか?
それらが、上手く合わさるポイントが見つかれば、世の中にもっと希望が増えていくという期待感を持てました。