『17:10 分別のある者を一回叱ることは、愚かな者を百回むち打つよりも効き目がある。 箴言17:10新改訳2017』
分別とは、「世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすること、またその能力。」と説明されています。
つまり、常識的な判断が出来る状態という事ですね。
人間が、やり直すためには「罰」よりも、教育や治療が必要という考え方が増えてきました。
学校やスポーツ指導の現場で、体罰がNGになったという傾向も、これを繁栄している一端だと考えています。
この箴言を見ると、同じような流れになっています。
「愚かな者を百回むち打つ」と言うのは、古来からあったのですね。
しかし、それが、物事を解決に導くとは限りません。かえって、混乱や鬱屈の要因になっていたのです。
相手を危険から遠ざけるために、必要なボディーコンタクトが必要なケースもあると考えています。それは、本当に限定的な範囲ですよね。
この箴言の核心は、「分別のある者を一回叱ること」の効果についてです。
タイトルに、「打てば響く関係に」とつけました。
「ツー」と言えば「カー」など、意思の疎通がスムーズな言い回しですね。
別の表現をすると「以心伝心」でしょうか?
これは、「言葉によらずに、互いの心から心に伝えること。言語では説明できない深遠・微妙な事柄を相手の心に伝えてわからせること。」と説明されています。
相手に、不要な圧力をかけるのではなく、必要な意思疎通を図れるように注力するという事だと私は考えています。
ダビデ王に鋭い指摘をした、預言者ナタンのように、自分に対して苦言を呈してくれる人を大切にする必要があるのですね。純粋なダビデは、預言者ナタンの指摘を受けとめて、【主】に対して悔い改めをして、その生涯を用いられたのです。この素直さと柔軟さを見習いたいと考えています。
日本語には、同じ字を書いて別の意味を示す言葉があるので、要注意です。この文末に列挙しておきます。
ふんべつ 【分別】《名・ス他》
世事に関して、常識的な慎重な考慮・判断をすること、またその能力。
「―がつく」
ぶんべつ 【分別】《名・ス他》
種類によって区別・区分すること。違うものは別々に分けること。
「ごみの―収集」
Oxford Languagesより