『◇焼け石に水 (日本のことわざ)
焼けた石に水を少々かけても熱いままであることから、少々のことでは効き目がないさまを表す。「100万円の借金があるのに、2万円を返しても焼け石に水だ」といった使われ方をする。出典は『世話尽』と言われるが、中国の古書子』では、「杯水車薪(はいすいしゃしん)」とあり、水をかけている対象が薪となっている。「今の仁を為す者はなお一杯の水をもって一車薪の火を救ふがごときなり」と、世にいる「仁者」のことを痛烈に皮肉っている。』
2024年の夏、日本は猛暑でした。
35℃以上の日が続きました。
それは、ヨハネの黙示録に預言されている第四の鉢の裁き「太陽が人を焼くことを許される」(ヨハネの黙示録16:8-9)をイメージしたくなるほど、ジリジリと感じました。
将来に、これ以上の灼熱に晒される人は、どのようになるのでしょうか?
冒頭のフレーズは、太陽に照らされ温められた石? または、炎で炙られた石というイメージでしょうか?
それを冷ますには、多くの水を必要とするでしょう。
消防消火の場面でも、類焼を防ぐために、そばの建物にあらかじめ水をかけて冷やすという手法があります。
「水を差す」というイメージになりますね。しかし、あまりにも火力が強いとその労力も水泡に帰すことがあります。
石と言うよりも、太陽で熱せられた車のボディという方が身近なのかも知れませんね。
夏の太陽に照らされると、かなりの温度まで熱くなります。
そこで、目玉焼きを焼いたり、肉を焼いたりしている動画を見たことがあります。
そのような車のボディに水をかけても、あっという間に蒸発してしまいます。
もちろん、多少、温度を下げる効果はあるのですが、かなりの水を使わないと洗車も難しそうです。
ですから、ニュアンスとしたら、「それくらいでは意味ないよ。もっと、必要だよ。」というイメージで使われることが多いですね。
適当とか、適切のさじ加減を考える必要があります。
健康の維持でも、少しぐらい運動しても、その消費よりも多くのカロリー摂取をしていたら、焼け石に水になるのは必死です。
そうならないように、自分自身で程よいバランスを心がけたいと考えています。