『5:12 さて、使徒たちの手により、多くのしるしと不思議が人々の間で行われた。皆は心を一つにしてソロモンの回廊にいた。
5:13 ほかの人たちはだれもあえて彼らの仲間に加わろうとはしなかったが、民は彼らを尊敬していた。
5:14 そして、主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢になった。
5:15 そしてついには、病人を大通りへ運び出し、寝台や寝床の上に寝かせて、ペテロが通りかかるときには、せめてその影だけでも、病人のだれかにかかるようにするほどになった。
5:16 また、エルサレム付近の町々から大勢の人が、病人や、汚れた霊に苦しめられている人々を連れて集まって来た。その人々はみな癒やされた。 使徒の働き5:12~16新改訳2017』
「使徒たちの手により、多くのしるしと不思議」が行われ、民の尊敬を集める使徒たちです。
「主を信じる者たちはますます増え、男も女も大勢」になったと記されています。
この「しるしと不思議」は、【主】である聖霊による御業です。それは、【主】の証と栄光のために行われていたのです。
「その人々はみな癒やされた。」とありますから、衝撃の出来事だったのです。
【主】の保証があり、民の目に見えるのは使徒たちです。
しかし、民の反応は、二分されたようです。
その一つは、創造主である神【主】に畏怖の念を抱く人たちです。もう一つは、ペテロの権威をイメージし、その影にすがる人も出てきたのです。
21世紀の今でも、この時と同様の「しるしと不思議」を求める人々がいます。
しかし、それには無理があります。
使徒の働きの時代は、特別な時代と考えた方が良いようです。
21世紀の今、人間は、試練困難、そして、病に取り囲まれています。癒やされる人もいますが、肉体的な限界を迎える人もいます。それは、人間にはどうしようもない現実です。
信仰者ならば、むしろ、試練困難や病を許可された【主】の意図を思いめぐらし、また、永遠の幸福マインドに至る希望をイメージすることが肝要だと私は考えています。
もちろん、病の癒やしを願いますが、それが癒やされても、肉体のまま永遠に生きられるわけではありません。
それよりも、試練困難や病からの教訓をその後の人生に生かしていくマインドを育むことが大切だと考えます。信仰者には、肉体的な癒やしよりも、霊的な癒やしが大切なのです。
ペテロに委ねられた一つは、アナニアとサッピラを有罪にする権威です。
彼は、【主】から任された分を遂行していたのです。
「しるしと不思議」に惑わされる事もあります。
大切なのは、そのエネルギーがどこに繋がっているのかを察する事なのですね。