『人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。メソメソした心の持ち主もいる。けれどもね、そんな弱い、 臆病な男が自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。 遠藤周作』
「男の子だから」という言い回しは、未だに使われます。
今の時代は、男女平等だと言われますが、それでもです。
それは、その子に対する周囲の大人が期待していることなのでしょうね。
「大きな身体をしている人は気が小さい傾向がある」と言われます。
それを聞くと、身体の大きさと気持ちのサイズは反比例しているようにも感じます。
身体と心のバランスを誰かが加減したのかも知れませんね。
遠藤周作氏のフレーズは、人間観察が行き届いているように感じます。
それは、「人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らない」という部分から感じるのは、人間の願望と現実との乖離です。
人間のあこがれは、「美しい」とか「強い」というイメージもあります。
でも、それに該当すると、自他共に認められる人がどれほどいるでしょうか?
評価の仕方を変えれば、何かの取り得は、あるはずです。
「生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。メソメソした心の持ち主もいる。」と言う評価は遠藤周作氏によるものです。
養育環境での保護者や家族の影響もあるでしょう。
でも、生きるために、そのようなマインドを持つ必要があった可能性も考えられます。
このフレーズの締めくくりは、「けれどもね、そんな弱い、 臆病な男が自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。」となります。
「臆病な男が自分の弱さを背負い」とあるのは、素性と状態を描写しています。
これは、状況や自分の状態を受容しているとも評価できますね。
それにもかかわらず「一生懸命美しく生きようとするのは立派だ」と言うのです。
美学は、個人的なモノなので、人の数以上にあるでしょう。
でも、「一生懸命」というのは、マインドが伴わないと継続困難です。
人間は、自分の理想から外れると、気持ちも揺れ動く傾向があります。
でも、自分のベストを目指して、コツコツかつコツコツ、一生懸命、生きたいと考えています。