『16:7 【主】が人の行いを喜ぶとき、敵さえもその人と和らがせる。 箴言16:7新改訳2017』
戦いとは、殺し合いの場合もあるし、ゲームなどの場合もあります。
敵と呼んでも、お互い人間ですから、生きていくことが大切なのですね。
いつも、周囲を貶めては、自分が偉いと演出したい独裁者タイプの人が、男女問わず存在します。
周囲が眉をひそめている事さえ、気づかないのです。
不安や恐れなどが、怒りになるタイプですね。
その振る舞いは、勝ち負けではなくて、自分の意識の中で、「勝ったことに」なれば良いのです。独り善がりというか、周囲とウマく行かないのに、一人では生きられない不思議なタイプです。
結論から言うと、精神的な自立ができていない訳です。
周囲は、海の引き潮のように、サーッと引いていくことでしょう。
カウンセリングのケーススタディーでは、相手との関係を良好にするために、「自分が死ぬ」という表現を使ったりします。つまり、相手の意向を汲んで、自分の主張は伏せておく作戦です。
これが奏功すると、やがて、対等なコミュニケーションへと変化していけると言うのです。
「死んだふりではダメ」なのです。
創造主である神【主】は、人類救済を果たすために、イエス・キリスト(第二位格)を犠牲にしました。それは、罪を取り除く神の子羊の全血を注ぎ出す、完全な死を通じて完成されたのです。
『1:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。
1:21 あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、
1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。 コロサイ1:20-22新改訳2017』
【主】に敵対する「罪人」のために、地を流して死に「和解させることを良し」とされたのです。
不可能がない全能の【主】だからこその話です。
しかし、相手を打ちのめすよりも、大切な事に目を向けていく必要がありますね。
それは、お互いを生かすこと、共存共栄することへの道筋です。
今の時代は、「今だけ、カネだけ、自分だけ」の傾向を非常に強く感じます。
でも、悪夢の中にいる人は、見えない何かと苦闘しているのです。
覚醒の時期が来るように願い、適切な対応ができるように備えたいですね。