『人の一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自分に尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中に置くことをしているのだ。 アウレリウス『自省録』(岩波書店)』
「自分を大切にする」という表現を使うと、「自己中」と言われる時代になりました。
何かと話題のトランプ氏は、「自国第一主義」を掲げて共有しています。でも、それを批判する勢力もあるのです。それは、グローバリスト勢力です。これは、利害相反なので、リアルな民主的解決が求められるテーマです。
「自己中」という批判は、グローバル戦略の一つなのかも知れませんね。彼らの後ろめたさなのかも?
でも、自分をどの様に構築するかの積み上げの順序を考えると、この「自分を大切にする」というのが、土台になると、私は考えています。
自分の人生と思いながら、現実は他人任せという実態もあることでしょう。
自分で決断をする必要があるときでも、結構な、ためらいがあるのです。
せめて、必要最低限だけでも、自己決断をして、良い人生だったと言えるようにしたいと私は考えています。
近年、ごみ屋敷問題が、取り上げられています。
それは、その人がだらしないので、片付けられないうちにゴミが堆積したと考えられていました。
でも、だんだん、精神的な課題や心理的な課題に目が向いてきたのは、良い傾向だと感じています。
その中で「セルフネグレクト」という言葉もメジャーになりつつあります。
「自己放任」とも言われますが、私は「自己虐待」だと考えています。
つまり、冒頭のフレーズで指摘されている一つの残念な現状です。
それは、自分に対する尊敬を無くした時から、急速にはじまるのではないでしょうか?
言葉を換えると「自分を大切にする」とか、「自分を慈しむ」という、多くの人が無意識にするような習慣を自ら放棄することが、引き金になるのです。
ジックリ、自分と向き合い、もう一人の自分を抱きしめる時間が、人生には必要なのだと考えています。
『自省録』(じせいろく、古代ギリシア語: Τὰ εἰς ἑαυτόν、ラテン文字転記:Ta eis heauton)は、ローマ皇帝で五賢帝の一人、マルクス・アウレリウス・アントニヌスが書いた哲学書。著者は古代ローマ人であるが、全編、ラテン語ではなくギリシア語(コイネー)[1]で書かれている。
最後の五賢帝であるマルクス・アウレリウスは、ローマ皇帝としての多忙な職務のかたわら哲学的な思索を好み、後期ストア派を代表する哲人でもあった。本書はその思想を直接知ることのできる、彼の唯一の著書である。
名称
原題は『タ・エイス・ヘアウトン(Τὰ εἰς ἑαυτόν)』で、意味は「彼自身へのもの(Things to one's self)」。ただし、マルクス自身は本書が公になることを想定していなかったため、後世になって付けられた名称である。
英題はMeditations(「瞑想」)で、日本語でも過去に『瞑想録』と呼ばれたことがあったが、現在は『自省録』を用いる。