『◇無い袖はふれぬ (日本のことわざ)
実際に持っていない金銭は、出しようがない。やりたいと思っていても、それ相応の実力がないとやりようはないといった意味で用いられる言葉。語源は江戸時代初期の俳諧語彙集『世話尽』だとされている。なぜ「袖」なのか。江戸時代には袖に小銭を入れる習慣があり、袖に小銭が入っていない以上は支払いができないということのようだ。昭和初期の時代、東支鉄道買収案が持ち上がったとき、高橋是清蔵相が「無い袖はふれぬ」と一蹴したことから、この言葉が有名になったとも言われている。』
これは、日本の着物文化が背景にあるようです。
いわゆる和服と呼ばれるファッションです。
着物に関連する言い回しは、「袖の下」という隠語は「ワイロ」のことを表します。
江戸時代、袖の中には、色々なモノが詰まっていたのですね。
時代劇では、支払いの時に、袖の中に手を引っ込めて、小銭を出すという所作が見られます。
大きな小判は、立派な財布に入っているイメージもありますが、その時代、財布自体も高価だったのでしょうね。
高橋是清蔵相が昭和の初期に、このフレーズを使ったことで、有名になり、21世紀の私までこのことわざが伝わっているようです。
でも、和服文化がもっと衰退すれば、このことわざは、迷宮入りになる可能性もありますね。
「お前に渡すカネは無い」というセリフは、薄情にも受け取られかねません。
しかし、お金の管理ができない人もいるのです。その状態の人には、お金が薬にはならないこともあります。
お金で周囲を振り回すのも、お金に人生を振り回されるのも、避けたいものです。
金銭教育は、非常に重要ですが、健全なモノは、あまり耳にしません。
金融機関や保険会社などが、ファイナンシャル・プランニングというコンサルを仕掛けていますが、我田引水に見えてしまいます。
幼少期の頃から、お小遣い制にして、駄菓子などを買いながら、お金の使い方を勉強していったという時代がありました。すぐに、全部を使い果たす子やキチンと分けて少しずつ使う子など、さまざまでした。
でも、次からどうするのか?についての学びが、そこにあったというのです。
舞台になった駄菓子屋のおばあさんは、儲けは考えられませんが、子どもと向き合い、金銭教育の一端をになっていたのです。
そこは、社会勉強の場であり、小さなうちから、してはいけないことも学べたのです。
私の記憶も薄くなっていますが、近所に駄菓子屋がありました。
いつの頃からか、近所の駄菓子屋、八百屋、魚屋が姿を消しました。
商売が成り立たなくなったからでしょうね。寂しいですが、現実です。
時代の変化は、金銭教育にも影響があるようですね。