永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

モノの減らし方について

私には、「収集癖」というまでも無いですが、何かを残しておこうとする気持ちが潜んでいます。

家族からは、これは何? と言うモノもあるらしく、そんな時、「捨ててしまっても良いのになあ」という気持ちもよぎることがあります。

でも、それらを活用して、上手くいったら、その傾向は強まるのです。

モノを減らせない原因は、そのようなところにもあるのだと推察しています。

ゴミ屋敷を年間3000件くらい片付ける業者の方によると、リバウンドする人が、2割程度存在するのだそうです。

その傾向は、精神疾患や収集癖がある人、そして、押し付けられた仕事を断れなくて、生活が破綻している人だと分析していました。

「収集癖」というワードに、ピクリとした私ですが、まだ、ゴミ屋敷化はしていません。

そのループに入らないように、気を付けようと強く思いました。

あきらかにゴミというモノをごみ出しする。

その防衛戦が崩壊すると、生ごみが堆積し、たちまち、「G」だけではなく「N」までも、招いていないのに大集合するらしいです。

まあ、明日はわが身という意識を頭の片隅に置いて、自分の現状に挑みたいと決意しています。

とにかく、自分の所有するモノを選んでいくという段階です。

日常を共にしたいアイテムをオーディションする会場を設定することからですね。

手法がさまざま公開されています。

「ときめくか? ときめかないか?」と言っていた人は、今や世界中で大活躍のようです。まあ、それだけ片付けのニーズがあると言うことですね。

とにかく、「いつか使える」とか、「モッタイナイ」などという前に、使わないのが「一番モッタイナイ」と肝に銘じておきます。

パソコンやオーディオ機器は、何台必要? 

文具は何セット?

などをブツブツつぶやきながら、作業を進めることにします。

そうそう、モノを減らすのは、他人の所有物には、絶対に口も手も出してはいけないというのが原則らしいです。

共有のアイテムは、同居の家族の意見もあるので、うまく調整をする必要がありますね。

このカベを突破できたときには、もっと身軽になれていることを期待しています。