生きるとか死ぬと言うのは、一般的に肉体的生命の寿命を意味します。
でも、それとは別に、その人が活き活きしているか? または、自分の本心を隠しながら、生きているなど、様々な意味が、背景にあるので、慎重に確認する必要がありますね。
人の一生は、「あっという間」と言われます。
誰にでも、24時間365日与えられています。80年なら、29200日、700800時間、という計算ができます。
その約三分の一睡眠していると考えると、約9733日は睡眠中ということになります。
それだけの時間を寝床で過ごすのなら、煎餅布団では無く、よい寝具を検討するのも大切ですね。決して、寝具メーカーの回し者ではありませんよ。
しかし、残念ながら人間の寿命は、人間が決められるものではありません。
どんなに、健康に留意していても、短命の場合もあります。
一方、放蕩三昧しているように見えても、長寿という人もいます。
母胎の中で亡くなるケースや出産の時に、赤ちゃんを残して母親が亡くなるケースなどもあります。
どうやら、このフレーズは、いのちを授かったその時から、「死」と隣り合わせにいるという事実確認なのですね。
健康を維持している時には、「死」への意識は希薄だと思います。
しかし、自分自身や身近な人が弱ると「死」へのイメージが膨らみます。
特に、若いのに、入院してほんの週日で、亡くなるケースも増えてきているイメージがあります。
「あっけない」と言っていいのか?戸惑いますが、他に言葉が見つからないほどのケースもあります。
自分の口から「もう、ダメ」と言う人でも、思いっきり長生きする事もあります。
これらの現実を踏まえて、自分がどの様なマインドで生きるのかを問われているように感じます。
「死」を意識しながら、恐怖に苛まれず、自分の人生を生き切たいというのが、私のマインド設定です。
マルティン・ハイデッガー(ドイツ語: Martin Heidegger, 1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、ドイツの哲学者。ハイデガーとも表記される[注釈 1]。