永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

除菌は一瞬、でも、現実的な対応は?

「菌はイヤ!」という意識を受け付けられている時代です。

その背景に、「相手を殺すか、自分が殺されるか」というゲームをさせられている人間の現状があります。

日本の昭和の時代、特に、戦後の復興期は、経済も右肩上がりで、多くの人が経済的な分配を受けられる状態でした。

でも、バブルが弾けて、新自由主義が広まり、弱肉強食の時代が表面化しました。

ある程度、共存可能だった世の中が、サバイバルゲームへと変化させられたのです。

その中で、「菌を殺せ」という除菌製品が跋扈しているのです。

また、アルコール消毒、除菌石けんなども、あちらこちらにあります。

確かに、医療現場の手術室の入口には、滅菌の徹底があるのは当たり前の事です。

しかし、一般生活には滅菌による弊害もあるのです。

人間の身体は、常在菌で守られています。

除菌するという事は、この常在菌の膜を破り、放棄することに繋がると指摘されています。

この常在菌が、人間を覆うバリアの機能を果たしていたと言うのです。

ですから、水で手を洗うことで、ある程度の衛生状態は保たれるようです。

ただし、不衛生はよくありません。汚部屋と言われる環境、また、それを通り越して、ごみ屋敷と言われる環境は最悪です。それは、人間の身体だけではなく、精神や心までも蝕みます。そもそも、そこに至る過程の中で、何らかのバランスが変わったと言う順序でしょう。

顔を洗うとか、手を洗うとか、入浴するか、温浴をするか、など、様々なライフスタイルがあります。

どれを選ぶかは、それぞれの自由です。

でも、自分にとって、ある程度の衛生状態が保てる選択は、必要不可欠でしょう。

炎症や外傷ができた時に、抗生物質を処方されることがあります。

それが、有用な部分は、傷の治りを早くするというモノです。しかし、人間の腸の中で活躍している有用菌までも、やっつけてしまうのです。

すると、腸内の環境が変わり、免疫系に影響が出てくるのです。

除菌も必要な局面があります。

でも、免疫系を維持したり、高めるためには、抗生物質や除菌剤をどのように使うのかについての「ちょうどいい加減」が大切だと私は考えています。

共存共栄は、人間には、難しいチャレンジなのかも知れませんね。