『8:13 【主】を恐れることは悪を憎むこと。わたしは高ぶりと、おごりと、悪の道と、ねじれごとを言う口を憎む。 箴言8:13新改訳2017』
「悪を憎む」と記されています。
このような流れを見ると次のようなフレーズも連想します。
「罪を憎んで人を憎まず」とは、「孔子曰(い)わく、「可なるかな。古(いにしえ)の訟を聴く者は、其(そ)の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず。」が原型だと言われています。
悪に手を染めたその人を憎むのではなく、悪を憎むという筋です。
人間は、人生の中で、過ちをしてしまうときが出てきます。その時に、逮捕されなくても、悪に手を染めてしまった自分への後悔の念が付き纏います。
その様な時には、存在と行為と所有に分けて考えると更生の道が開けそうです。
創造主である神【主】は、「悪」を憎みます。しかし、人間が染まってしまった「悪」を包み込める救済を備えてくださった御方なのです。
まず、【主】に憎まれるリストをこの箴言から確認しておきましょう。
それは、「高ぶり」、「おごり」、「悪の道」、「ねじれごとを言う口」と、記されています。
現実の自分を偽り、威勢をはる高慢です。
また、等身大の自分を過度に大きく見せようとする詐欺行為でもあります。
それらは、「悪の道」につながっています。
それらを正当化しようと、口から出任せを平気で言うようになるのです。
その方向性は、破滅へと向かっています。
そこから、逃れるためには、立ち止まって方向転換するほかないのです。
それは、「【主】を恐れること」であり、「悪を憎むこと」であると記されています。
現実の自分、等身大の自分を意識し、創造主である神【主】の被造物であることに心を留めたいものです。
それが、【主】に対する畏敬の念のあらわれです。
そうすると、「悪」から遠ざかる方向に歩みを進めることになるのです。
それまでとは、違う【主】に向かって歩めるのですから当然と言えば当然なのかも知れません。
破滅ではなく、永遠の幸福マインドで平安に歩みたいですね。
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