永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

子羊の婚姻 ヨハネの黙示録19:1-10

『1 その後、私は、大群衆の大きな声のようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力は私たちの神のもの。
2 神のさばきは真実で正しいからである。神は、淫行で地を腐敗させた大淫婦をさばき、ご自分のしもべたちの血の報復を彼女にされた。」
3 もう一度、彼らは言った。「ハレルヤ。彼女が焼かれる煙は、世々限りなく立ち上る。」
4 すると、二十四人の長老たちと四つの生き物はひれ伏して、御座に着いておられる神を礼拝して言った。「アーメン。ハレルヤ。」
5 また、御座から声が出て、こう言った。「神のすべてのしもべたちよ、神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ。」
6 また私は、大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものがこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。
7 私たちは喜び楽しみ、神をほめたたえよう。子羊の婚礼の時が来て、花嫁は用意ができたのだから。
8 花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された。その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである。」
9 御使いは私に、「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい」と言い、また「これらは神の真実なことばである」と言った。
10 私は御使いの足もとにひれ伏して、礼拝しようとした。すると、御使いは私に言った。「いけません。私はあなたや、イエスの証しを堅く保っている、あなたの兄弟たちと同じしもべです。神を礼拝しなさい。イエスの証しは預言の霊なのです。」 ヨハネの黙示録19:1-10新改訳2017』

天における大群衆の賛美について

「その後」とは、大バビロンの崩壊後のことです。そして、キリストの再臨前のことであります。その間に、いくつかのことが起こります。

1~2節は、天で大群衆が神の栄光をたたえている光景です。

「ハレルヤ」は、新約聖書では4回、すべてこの章で記されています。

大患難時代の前半に登場する大バビロン(大淫婦と記された宗教的大バビロン)が滅ぼす主を讃美している箇所です。これが、第一のハレルヤです。その理由は、ヨハネの黙示録6:10での殉教者たちの祈りが聞かれ、宗教的大バビロンに対する主の報復がなされるからです。

そして、3節では、大患難時代の後半に登場する経済的・政治的大バビロンに関する宣言です。第二のハレルヤは、神の正義によって、経済的・政治的大バビロン滅ぼされる事への讃美です。

この煙は、大バビロンが焼かれる煙であり、大バビロンの滅びは永遠であることを示しています。これは、神の敵は、永遠に滅ぼされることを示しています。

二十四人の長老と四つの生き物の礼拝(4~5節)について

ヨハネの黙示録4:9~10には、7つの封印を開く前の天の様子が描写されています。

ここに登場する「四つの生き物」は、セラフィムです。また、二十四人の長老とは、携挙された教会です。二十四人の長老は、神を礼拝します。これが第三のハレルヤです。

携挙された教会は、天から大患難時代の様子を目撃しています。ディスペンセーションで、大患難時代の前に携挙が起きると考えるのは、この箇所が根拠となっています。

5節の御座から声は、天使の声です。「神のすべてのしもべたちよ、神を恐れる者たちよ、小さい者も大きい者も私たちの神を賛美せよ。」と、すべての人を礼拝へと招きます。

この意味は、賛美し続けよという命令なのです。

小羊の婚姻(6~8節)について

「大群衆の声のような、大水のとどろきのような、激しい雷鳴のようなものが」鳴り響き、第四のハレルヤが発せられるのです。これ、子羊の婚姻を喜ぶハレルヤです。

「ハレルヤ。私たちの神である主、全能者が王となられた。」の全能者(the Almighty)は、ヨハネの黙示録では、よく出てくる神のタイトルです。

日本語聖書にも多くの翻訳がありますが、「全能の主、われらの神は統治(すべし)らすなり」(文語訳)というものが、この描写を的確に表しているように思います。

創造主である神【主】は、常に主権者であり、全能者なのです。これは、黙示録の主旋律であり、その事実が、より明らかになることでしょう。

それは、御心が天になるごとく、地でもなろうとしている変化であって、神の統治は、千年王国の形を取るようになります。つまり、栄光の主キリストは、エルサレムから、ダビデの王座に就いて統治されるのです。これこそ、第二サムエル7:12-13に記されたダビデ契約の成就なのです(2サム7:12~13)。

天にいる人たちは、子羊の婚姻が近いことを喜び楽しみ、神をほめたたえます。

「花嫁は用意ができたのだから」と記されていることについては、「キリストと教会の関係」が、結婚にたとえられます。花婿とは、子羊である栄光の主イエス・キリストであり、花嫁とは、教会を指しています。

キリストを信じた人(信仰者)は、その瞬間に花嫁の一部とされるのです。

「花嫁は、輝くきよい亜麻布をまとうことが許された」とあるのは、100%の純白で、神の栄光を反映した状態なのです。肉体とセットになっていた罪は処理され、復活した栄光の体を与えられているのです。

「その亜麻布とは、聖徒たちの正しい行いである」は、義とされた者が、神の恵みによって為した正しい行いの数々を意味しています。これについては、信仰による義のことではないようです。

婚姻は、キリストの御座の裁きの後で行われます。

子羊の婚宴(9~10節)について

子羊の婚宴は、千年王国が設立される前に地上で行われます。この箇所では、招待客は招かれているだけで、婚宴はまだ始まっていません。

招待客とは、ペンテコステの前に救われたすべての信者たちを指しています。つまり、聖霊降臨によって教会が誕生する前に信じた信者たちです。彼らは、復活の体を持って千年王国に入ります。この中には、バプテスマのヨハネも含まれます。「花婿の友人」(ヨハネ3:27-30)これが、第一グループです。

第二グループは、大患難時代に殉教の死を遂げた聖徒たちです。彼らもまた、復活の体を持って千年王国に入ります。

「これらは神の真実なことばである」とは、神が語られたことばは、すべて成就すると言うことであり、信仰者にとっては、励ましとなる言葉なのです。

ヨハネは、栄光に富んだ天使を拝もうとしましたが、天使は、即座にそれを禁じました。その理由は、礼拝されるべきお方は、神だけであり、天使も、信仰者と同じく神に仕えるしもべだからです。

「イエスの証しは預言の霊なのです」とあるのは、聖書にある預言は、イエス(メシア)を証しするものであり、その預言を与えたのは、聖霊です。今でも聖霊は、キリストを証しするために働いておられるのです。

信仰者の希望は、受難のメシアであるイエス・キリストによってもたらされた罪と死(永遠の苦しみ)からの解放です。そして、キリストの花嫁として、永遠の幸福に招き入れられる事こそ、究極の愛に包まれる幸せなのだと考えています。

創造主である神【主】の計画は、永遠から永遠に、一筋の紅の糸で繋がっているのですね。