永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

他人の善と自分の悪について 清沢満之「清沢文集」

『他の善と、自の悪とは、顕微鏡にて之を見よ。そのいかに大なるかを感ずべし。他の悪と自の善とは、望遠鏡にて之を見よ。そのいかに小なるかを感ずべし。 清沢満之「清沢文集」』

人間は、アラ探しの達人です。

障子の桟についたホコリを指先で撫でながら、相手を威圧しマウントを取りたがる一面があります。

でも、それは、気が付いた人が掃除をすれば良いという考え方からは、真逆になりますね。

人間関係を良好にするのも、最悪にするのも、その人の気持ち次第と言うことですね。

このフレーズでは、そのような人間観察の基本を示唆しています。

「他の善と、自の悪とは、顕微鏡にて之を見よ。」とあるのは、他の人の良いところを探しなさいと、先に指摘しています。

また、同時に「自の悪」をも、同じように顕微鏡的な視点で観察することも示しています。

自分の中の「ワル」を見る怖さを感じる人も多いことでしょうね。

これは、潜在的に、そのような思い込みが深くあるのだと、私は考えています。

アラ探しではなく、良い所探しの視点を拡大して観察することで、何かが変わることが期待できますね。

また、「他の悪と自の善とは、望遠鏡にて之を見よ。そのいかに小なるかを感ずべし。」と、その逆は、望遠鏡の視点を示しています。

近くに置く視点と、遠くに置く視点の距離感を変えることによって、感じ方が変わり、心持ちも変わると言うことですね。

現実的な対応の指針に参考になります。

人間は、自分が正しいと考えたがり、自分は周囲に比べて優位だと思いたいのでしょうか?

自分の中にも、その傾向を感じますので、その様な時には、このフレーズを思い出したいと考えています。

 

清沢 満之(きよざわ まんし、1863年8月10日(文久3年6月26日) - 1903年明治36年)6月6日)は、日本の明治期に活躍した真宗大谷派(本山・東本願寺)の僧侶、哲学者・宗教家。旧姓は「徳永」。幼名は「満之助」。院号法名は、「信力院釋現誠」。真宗大学(現・大谷大学)の初代学監(学長)。

清沢満之 - Wikipedia