永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

他人を批判する人が恐れていること 芥川龍之介「侏儒の言葉(岩波書店)」

『他をあざけるものは同時にまた他にあざけられることを恐れるものである。 芥川龍之介侏儒の言葉岩波書店)」』

SNSにおける誹謗中傷などが問題になっている21世紀です。

また、「いじめていた人」が「いじめられるようになる」というパターンもあります。

一方、意見の相違は付き物ですから、それらを理路整然と並べて、一覧できる掲示板的なサイトも大切だと考えています。

成熟したディスカッションが冷静になされることを願います。

最近の傾向は、相手の口を塞いで、自分の主張を認めさせようとします。ある勢力は、フェイクニュースを流し、デマを流布することによって、「我田引水」を達成させようと目論んでいるように見えるのです。

その流れの中で感じるコトが、このフレーズの内容です。

「他人をあざける」というのは、下品だと考える人が多いと思います。

でも、そのような行動に出なければならないほど追い詰められた心理状態なのかも知れませんね。

自分のこぶしを大きく振り上げて、挑んでみたものの内心はビクビクなのでしょう。

そのしっぺ返しを恐れているのですから当然ですね。

その様なやり取りを回避して、相手をブロックするという荒技に出る人もいます。しかし、立場によっては、事態の収拾には至らず、他の場所から、批判が渦巻く可能性が高くなります。

このような流れを見るときに、情報の発信の方法には、配慮と工夫が大切なのだと考えさせられます。

まず、「アイメッセージ」です。

つまり、「私は○○だと思います。」「私には、このように感じます。」など、私の意見として述べる方法です。

それに対して意義がある場合は、「いいえ、私は○○だと考えています。」というやり取りに繋がることを期待しているからです。

どうしても、「マウント」を取ることだけにフォーカスしていると、大切な信頼関係さえ失うことになりかねませんからね。

あざける前に、対話を心がけたいものです。

芥川 龍之介(あくたがわ りゅうのすけ、1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『鼻』、『羅生門』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。

ja.wikipedia.org