永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

新しいモノはすでに出尽くしているかも知れない。 芥川龍之介 「河童(集英社)」

『必要な思想は三千年前につきたかもしれない。われわれはただ古い薪に新しい炎を加えるだけであろう。 芥川龍之介 「河童(集英社)」』

「音楽の旋律は、19世紀に出尽くしているのではないか?」と耳にした事があります。

確かに、似たようなフレーズはあるように感じています。流れてくる音楽の一部分が、「あの曲か?」と思うほど、酷似していることがあります。デジタル化されている音源は、照合しやすいので、あらゆる騒動もあちこちで勃発しているようです。

あきらかにモチーフを宣言して、オマージュとして作られている作品もありますね。

別のケースでは、替え歌として、流用されるケースもあります。

また、俳句の世界は「五・七・五」の17文字ですので、世の中に同じ句があるのではないだろうかと考えたりします。このように、記している文章だって、似たような文章は、あちこちにあるかも知れませんね。

さらに、社会風刺として、パロディ化されることもあります。

このフレーズは、芥川龍之介の嘆きのようにも聞こえてきますが、実際の所はどうだったのでしょうか?

料理のレシピなどでも、飽和状態のように感じます。少しずつ変化をつけて、すり抜けて公開しているのかも知れませんね。苦心惨憺、大変な領域です。

過去に視点を向けると、古代文明のエジプトなどには、ピラミッドなどの巨大建造物があり、21世紀でもその形状を保っていますから、技術力としては相当レベルの高いモノだと思います。

今は、コンピュータや重機などの機械に頼って、何とかできるものが、人力主体の時代にできたという事実には、驚愕するしかありません。

そのような歴史の遺物が世界中にあるのですから、それらを見れば、人間の持っているパフォーマンスの大きさがわかります。

人間の思想もくり返し、巡っているようなイメージもありますね。

利害関係も絡んで、何かを加えたり、改変をしたりして、見え方が変わるように提示されているだけなのかも知れません。

その中で、言えることは、全世界を幸せにするような思想は実現していないというのが現実です。それは、人間には不可能な領域なのでしょうか? 今後に期待したいと思います。

私は、「千年王国」や「新天新地」までは無理なのかなあとも考えていますけれどね。

 

芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ1892年〈明治25年〉3月1日 - 1927年〈昭和2年〉7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人(ちょうこうどうしゅじん)、俳号は我鬼(がき)。東京出身。『鼻』、『羅生門』、『地獄変』、『歯車』などで知られる。
生涯 関東地方東京市京橋区入船町8丁目(現・東京都中央区明石町)に牛乳製造販売業を営む新原敏三、フクの長男として生まれる[1]。出生時刻については資料がないため不明である。 戸籍上の正しい名前は「龍之介」であるが、養家である芥川家や府立三中、一高、東京大学関係の名簿類では「龍之助」になっている。芥川自身は「龍之助」の表記を嫌った。姉が2人いたが、長姉は、龍之介が生まれる1年前に6歳で病死している。

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