永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

エネルギーの無駄遣いから転換 箴言1:22

『22 「浅はかな者よ、おまえたちは、いつまで浅はかなことを愛するのか。嘲る者は、いつまで嘲ることを欲するのか。分別のない者は、いつまで知識を憎むのか。 箴言1:22新改訳2017』

中二病という思春期に象徴される症状があります。

それは、『思春期に特徴的な、過剰な自意識やそれに基づくふるまいを揶揄(やゆ)する俗語。具体的には、不自然に大人びた言動や、自分が特別な存在であるという根拠のない思い込み、またはコンプレックスなどを指す。名称は、その年代の子供が抱きがちな心理状態であることから、一過性の病気に見立てたもの。(デジタル大辞泉)』と説明されています。

コンプレックスの裏返しで、「自分以外は「ダメ」という歪んだ心理状態」とも言われます。

自分が優位であることを誰よりも自分自身に言い聞かせるために、そのような言動をしてしまうのですね。

これが、「嘲る者」のウラ側の一面です。

本当に、口を開けば、周囲が不快になるほどの罵詈雑言で、「嘲り続ける」人もいます。どこから、そんなエネルギーが湧いてくるのか不思議です。

そして、それは「浅はかなことを愛する」ことだとも指摘されます。

エネルギーの無駄遣いと感じるコトもあります。

その実態はどうなのでしょうか?

状況を理解せずに、分別なく振る舞っている未熟な状態という説明もできますね。周囲を下げて、自分自身が浮上できるのならば、それも手段の一つになります。

しかし、その行為が、自分自身の孤立につながるのなら、全くの徒労と評価されかねません。

「知識を憎む」と記されているのも、心理的抵抗の一面を浮き立たせているように感じます。

どうすれば、状況が好転するのかという発想が必要ですね。

それは、知識(知恵)を愛することからはじまります。それが、分別を獲得する道筋になります。

そうすることによって、「嘲る」という行為が、いかにエネルギーの無駄遣いだったかを理解することにつながるのではないでしょうか?

意見が異なっても対話することと、嘲ることは大きな差があります。

世の中には、多くの考え方があり、絶対的な正解はありません。それを一つだけに絞れることは、多くはありません。

お互いの考え方や選択を尊重することは、建設的な人間関係への第一歩です。

そこに、エネルギーを使うのが有効活用だと考えています。