永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

時代はめぐるが不変の正義もある 箴言10:25

『25 つむじ風が過ぎ去ると、悪しき者はいなくなる。正しい人は永遠の礎である。(箴言10:25新改訳2017)』

「竜巻」で検索すると、多くの動画が出てきます。

「つむじ風」と聞くと、桜の散った花びらがくるくると舞い上がるさまをイメージします。

「悪しき者はいなくなる。」と記されているのは、必ずジャッジが降る時があると言うことを表現しています。

その時は、「つむじ風が過ぎ去る」ようだと記されています。

この対象は、人殺しをした極悪人だろうと想像したりしますが、そうではありません。

聖書の基準によると、創造主である神【主】を知っていても、その存在を認めないことが、「的外れ【罪】」と判定されます。

そして、この地球上に生きている限り、自然界を通じて、あるいは、歴史を通じて、人を通じて、【主】による導きによって、誰にでも【主】を知る機会が与えられていると言うのです。

何度も、うんざりするほど、伝道をされる人もいれば、すれ違いざまに、そのチャンスが訪れるという人もいることでしょうね。

そのチャンスを生かすかどうかが、「いのち」のその後に影響します。

それが、「正しい人は永遠の礎」と記されている部分です。

ここでの「正しい」とは、「完璧な人間では無い」と言うことです。

つまり、「創造主である神【主】」を知り、信じることが、【主】に正しいとされるかどうかのポイントです。

完璧な人間などいないのです。

聖書の中には、完璧に近いモデルとして「ヨブ」を挙げていますが、それでも、彼は「【主】に対する信仰を義とされた」に過ぎないのです。

人間や建物は、竜巻に巻き込まれれば、何かのダメージを受ける可能性は考えられます。

しかし、「永遠の礎」が確立されていれば、「たましい」と「いのち」は永遠に保証されることになるのです。

これこそが、「不変の正義」と言っても過言ではない真理と聖書は語っているのです。