永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

料理の味の再現性について考えてみる

一口含んだら、「これは、何と何を使っているね。」と分かる人がいます。

私は、味音痴を自覚していますので、下手なコメントをしないように気をつけています。

料理のレシピは、検索すれば、たくさん見つけることができます。

しかし、どれも決め手に欠けるので、自分が苦手な調味料を除外して選んだりしています。

それでも、食材の量もお菓子を作るみたいにグラム単位で計るわけではなく、個体差がありますし、調理環境も違いますから、レシピの再現と言うよりは、参考にするというのが現実です。

まさに、「適当(テキトー)」です。

大量に調理をするプロはスゴいなとつくづく感心しています。

最近は、食品の成分は、分析器の発展によって、科学的に把握しやすいようになっています。

その様な背景もあってか、コンビニスイーツは、老舗のお菓子のイイとこ取りをして、そこそこの価格で口当たりが良いものを開発し、販売しています。

食べ比べをしても、判別するのが難しいほど、再現されているようです。

しかし、それは、いくら美味しくても一過性のものです。

人間が、生まれ育った環境で、味わった食品は、ファミレスとか、ファストフードであっても、一番落ち着く味として記憶されるのだそうです。

濃い味付けや化学調味料がないと味がしないという感覚は、この部分を反映させたものなのだと推察しています。

究極的には、お袋の味が懐かしく感じる人が多いと言うのも、一番落ち着く味だからなのでしょうね。

特に、みそ汁の味は、話題にのぼることが多いように感じます。

お袋の味の再現は、結構難しいようです。将来に備えて、作り方や材料などを教えてもらっておいた方が良いでしょうね。実際に作ってみて、共有してみるともっと再現性が高くなると思いますよ。

いろいろなものが無くなってしまってから懐かしむものですが、そうなる前に事前の準備が、後悔を一つ減らすことに繋がります。

私は、濃い味で育ったと自覚したのは、結婚してからでした。

でも、それに気づいてからは、必要最小限の味に挑戦しています。

薄味になれていくのも、なかなか時間がかかるものだと考えていましたが、それが日常になると、素材の味も分かるようになりましたので、結果的には良かったと思っています。

懐かしい味も大切にしたいですが、自分自身が健康を維持できる味に挑戦していこうと考えています。