永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

愛の構成要素のパターン モリエール

『嫉妬深い人々の愛は憎悪のようにできている。 モリエール

「愛」は、純粋で高潔なものという幻想があります。

それは、神の愛「アガペーギリシャ語)」であり、人間には発揮できない種類のものです。

他にも「愛」には、「フィレオ(兄弟愛)」「エロス(性愛)」などというものがありますが、人間が表現できるものは限定的です。

まず、有限である人間は、「限界」という事実を受け止める必要があります。

人間は、生存のため子孫繁栄のために、「食欲」「睡眠欲」「性欲」を与えられています。

それは、必要不可欠な要素ですが、上手くコントロールできないと、「歯止めがきかない欲」に振り回されて、危うい方向に迷い出てしまいます。

自分の欲を遂げたくても、恋愛は相手次第の要素もありますから、残念ながら片想いでは成就に至りません。

でも、その先の気持ちの整理がさまざま出てくるのですね。

諦めがイイ人は、自分が身を引くので、自分自身の気持ちの整理ができれば、次への準備完了です。

しかし、諦められない人(執着する人)がいます。これは、解決が難しいですね。

諦められない相手の関心を自分に向けようと、あらゆる手段を講じようとするからです。

まるで、モリエールの、このフレーズのようにです。

「愛憎」と言う言葉を取り上げたこともありますが、「愛」と「憎しみ」が表裏一体になることもあります。「憎たらしいほど愛している」というドラマのセリフに出てくるようなものもあります。

また、「嫉妬」もあらゆる状況で起きる感情の変化です。

「嫉妬」「憎しみ」「愛」は、関心がある対象に対しては、特に強く出てくるのですね。

「好き」と言い続けていた人が、その気持ちが成就できないと感じたら、手のひらを返すように、「憎しみ」を掻き立てられて、誹謗中傷をしたり、時にはストーカーになったり、その人の人生に立ちはだかったりすることがあるのです。

誰よりも、自分のメリットがない状態で、嫉妬と憎悪の負のスパイラルに堕ちていくのは、悲しいですね。

ここに、誰かを巻き込むという発想は、悪魔的なのかと感じるほどです。

できるだけ、自分自身の気持ちに気づいて、リスタートをする習慣が持てる人は、自分も周囲も幸福になれる近道なのかも知れませんね。

モリエール(フランス語: Molière)として知られる、ジャン=バティスト・ポクラン(フランス語: Jean-Baptiste Poquelin、1622年1月15日 - 1673年2月17日)は、フランス王国ブルボン朝時代の俳優、劇作家。ピエール・コルネイユジャン・ラシーヌとともに古典主義の3大作家の1人。悲劇には多くを残さなかったが、鋭い風刺を効かせた数多くの優れた喜劇を制作し、フランス古典喜劇を完成させた。

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