永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

成金と言われても維持拡大できる人といつも崖っぷちな人

「成金」という言葉には、ネガティブな感情が伴っています。

それは、「代を経た名家」ではない人が、突然にして富を得るという状態になった人に対する嫉妬心が含まれているからなのかも知れませんね。

そもそも、将棋では「歩」は、一コマ前進しかできないのですが、敵陣に侵入する時に「金将」になることができるルールから、「歩が金に成る」という大出世を、「成金」と使われるように成ったそうです。

アリストテレスも、「成金」に対しては、あまり良い感情を持って居らず、下記のように(引用欄)記しています。

また、「一代で財を成した人という意味の成金全てに当てはまる特徴という訳ではない」と言う事についても考えておきたいのです。

人間には、それぞれの器量があります。

それに、見合った経済状態と生活レベルにつり合いがとれるかどうかが、カギなのだと考えています。

周囲から見ていて、こころのゆとりを感じられない人は、いつも崖っぷちみたいな印象を持ってしまいます。何かが起きると、たちまちバランスを崩してしまいそうな危うさを感じます。

一方、コツコツと実績を積み重ねて、「成り上がった人」は、何か違うものを感じます。そのような人は、コツコツと努力を積み重ね、さらに維持拡大をしていくような安定感を感じます。

その差は、目先の金に振り回されるかどうかなのかなと考えています。

「損得よりも、信用を重んじる」とか、「不遜ではなく、謙虚である」など、それぞれの心持ちは、必ずや表面化するのですね。

アリストテレスが記した「成金の性質」について、よく考えて、自分が「成金」になった時のために、心を備えておきたいですね。

 

成金(なりきん)とは、将棋において低位の駒が金将に成駒することになぞらえ、急激に富裕になった人(ヌーヴォーリシュ)を表す。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、成金の性質について次のように評している[1]。
・その性格を一言で言えば、幸運に恵まれた愚か者の性格である。
・良いものをすべて持っている気になっているために、傲岸不遜である。
・贅沢を見せびらかす。
・金がすべての評価の基準になっている。
・自分好みのものに囲まれて生活しているため、他人が別の好みを持っていることを忘れる。
・自分が官職につくべき人間だと考える。
・金持ちであることの心得がまだできていないために、金持ちであることにつきものの欠点を古くからの金持ちよりもっと悪い形で持っている。
・成金が不正行為に手を染めるのは、悪意からではなく、傲慢や抑制力のなさからである。
上記の評価はあくまで古代ギリシャアリストテレスが評した成金像であるが、現代においてもしばしば当てはまる傾向であり、人間の性が変わらないものであることを示している。一方で、一代で財を成した人という意味の成金全てに当てはまる特徴という訳ではない点に注意が必要である。一般に成金という言葉は、そういう人たちがしばしば陥りがちな悪い面を指して言う、悪い評価を含んだ言葉である。このアリストテレスの記述も、様々な悪徳(倫理的にみて悪い性格)を列挙する中で出てくるものである(徳倫理学)。

ja.wikipedia.org