永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

敵が倒れた時にあなたは? 箴言24:17

『あなたの敵が倒れるとき、喜んではならない。彼がつまずくとき、心躍らせてはならない。(箴言24:17新改訳2017)』

人間のバランスのとり方は、ぎこちなく不安定な側面があります。

自分自身に焦点を合わせれば良いものを他者比較をすることによって自分の位置を探ろうとするのです。

それは、優劣というものさしです。

社会的地位や資産、車や屋敷、預金残高などを比較して、他者よりも多いと威張り、他者より低いと落ち込んだりするモノです。

何とも、情けなく感じますが、自分自身でも、同じようなことを繰り返しています。

【主】の前に絶対的に大丈夫とされていることよりも、現世での状態を「大丈夫のものさし」に、引きづり出してしまうことがあります。

自分が決して負けたくない人に何かあると、心が揺さぶられます。

良いライバルであれば、足の引っ張り合いをする事無く、互いの健闘をたたえ合うこともでき、何かあったときには支え合うこともできるはずです。

しかし、表面上、そのような関係であっても、心のどこかでは、喜んだり、心躍らせているのかも知れません。

また、自分を攻撃している人であれば、その攻撃が止んだことに「ホッ」としてしまうこともあるでしょうね。

【主】の模範はどうだったでしょう?

人間が「善悪を知るの木」を選び、「罪」が侵入した時に、責めもせずに「罪」の解決策を示されました。

また、イチジクの葉の衣の変わりに、動物の犠牲が伴った皮衣を与えて下さいました。

毛皮のコートに着心地が格別なのには深い意味があるのかも知れません。

失敗に気づいた人間に対して、【主】は、必要なケアをされました。

それが、本当の「愛」なのですね。

人間の可能性は、この「【主】の愛」に浸ることによって、変化することが期待できます。

自然体で行えるようになれることを願って、実践していきたいですね。