永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

誰とどのように付き合うか、人生の選択 箴言23:20-21、29-30

『20 大酒飲みや、肉を貪り食う者と交わるな。21 大酒飲みや、貪り食う者は貧しくなり、惰眠を貪る者はぼろをまとうようになるからだ。(箴言23:20-21新改訳2017)』
『29 嘆く者はだれか。悲嘆の中にある者はだれか。争いを好む者はだれか。不平を言う者はだれか。理由もなく傷ついている者はだれか。血走った目をしている者はだれか。30 ぶどう酒をいつまでも飲み続ける者、混ぜ合わせた酒の味見をしに行く者だ。(箴言23:29-30新改訳2017)』

「分かっちゃいるけど辞められねえ」という歌詞は、非常にインパクトがあります。

それは、大酒や惰眠、嘆きや悲嘆、争いや不平、理由無く傷つくことなど、やめられないことが列挙されています。

でも、どれも自傷行為の方向性ですね。

そのままの生活習慣を引きずっていると大変な事になりますよ。

その方向は、破綻へまっしぐらです。

何がそのような行為に走らせるのでしょうか?

それぞれに、事情や背景がありますから、それぞれが、人生のどこかで向き合う必要がありますね。

できれば、早い目に一度立ち留まって、向き合えると良いですね。

「お付き合い」だからという人もいるでしょうけれど、身体や精神を蝕まれても付き合うほどの義理があれば別ですが、多くの場合は、そんな義理さえ無いと思います。

あなたの人生は、あなたが決められるのです。

嗜癖(しへき)の類いも、ちょっとした心のスキマから習慣化していく事が多いですね。

適度な自分なりの楽しみは健全ですが、依存症的な領域は分けて考える必要があります。

誰とどのように付き合い、どのように楽しむかは、自分自身で決めましょう。

何も喧嘩しなくても良いので、たいがい3回も断れば、積極的に誘われることが減ると思います。

身近に、このような人がいるケースについて記します。

「ガミガミ」お説教するのは「逆効果」です。

相手が逃げ場を失って、ちゃぶ台返しをするのが目に見えるようです。

「どうして、そうせざるを得ないのか?」という視点で観察しながら、満たされていない何かを「共有」できると良いですね。

何よりも、大酒などしなくても、快活に生活できることを自分自身を通じて示しましょう。

それが、一番、気づいてもらうために効果的です。

そのためには「大丈夫!!!!! 感謝!!!!!」を自然体で生きる習慣化が大切なのですね。