永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

定めがあるコトとの位置関係

運命なのか宿命なのか?

自分が背負って行く何か? それから、逃れられない事を感じる時があります。

多くの人は、ヒーローに憧れ、ヒーローになりたいという願望を秘めていませんか?

アンパンマンのストーリーならば、多くの人はアンパンマンに憧れ、バイキンマンにはあまりシンパシーを感じないというイメージが醸成されています。

でも、バイキンマンへの同情も含めて、人気もそこそこあるのかも知れませんね。

聖書の中に出てくる登場人物の中で、裏切り者の代表格と言えば「イスカリオテのユダ」です。

イエス・キリストの弟子でありながら、イエスを売り渡す橋渡しをして、最後は自死するしか道がなくなりました。

彼は、その役割を背負っていたという一面をどのように考えるか?、様々な見方があるでしょうね。

「定め」というか、自分では抗えない何かに取り憑かれていたと考える方が受け入れやすいのかと考えたりします。

しかし、正義感の強い人からすれば、イエス・キリストを売り飛ばす裏切り者は、そのようになって当然だと言うかも知れません。

むしろ、後者の方が支配的のようなイメージを感じます。

イスカリオテのユダは、自分に課せられた役割を放棄するタイミングやチャンスがあったのでしょうか?

史実として、彼が為したことが記されており、これを論じた所でその評価を変える事にはならないので誤解なきように申し添えておきます。

あえて、このような話題を持ち出しているかというと、近年、「詐欺」まがいの行為が増えて、無意識のうちに加担させられていたというケースもあることから、当事者意識を持ち、自分が袋小路に追い込まれていないかを確認する必要性を感じたためです。

自分の居場所を求めて、人生の旅路を歩んでいるのですが、「そこで花を咲かせなさい」という声と、「何かが違う」という叫びが交錯しています。

それぞれの人生ですから、時と場合に応じて、適切な判断をしていく必要があります。

自分の自由意志で、「ここに踏みとどまって初志貫徹する」という選択もOKですし、「新天地を求めてGO」というものアリです。

自分が袋小路に追い詰められて、人生に絶望することだけは回避できる何かを確保しておく必要もあると考えています。

逃げるばかりが良い人生だとは思いませんが、時には、逃げることも大切な局面があるという意識も大切だということです。