永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

争う時代に何を考えて行動するか? 箴言3:30

『あなたに悪い仕打ちをしていないのなら、理由もなく人と争うな。(箴言3:30新改訳2017)』

「理由もなく人と争うな」は、ムダにエネルギーを消耗しないために大切な教訓です。

自分にとってネガティブに感じることをまるで「自分に降りかかる火の粉」のように受け取ってしまうと、すべてを振り払いたくなるのが、人情かも知れません。

でも、明らかに自分が対処する必要がある課題以外は、「争わない」選択が大切ですね。

常に、自分が優位で居たいというのは、弱さの表れでもあります。

多くのケースの場合、勝者でも敗者でもないからです。

つまり、前進でも後退でもなく、中立であれば、争いが無い状態と考えることができます。

また、自分が攻撃されていると考えると、自分をどのように守ろうかと悩みが増えて、緊張感も大きくなっていきます。

まるで、世の中すべてを敵に回しているかのような、ストレスフルな状態が継続するということですね。

そのような状態では、猜疑心や恐怖心に苛まれ、変な汗をかき、エネルギーを消耗するというマイナススパイラルに陥ります。

一方、いざというときに備えた人は、どのような振る舞いが可能でしょうか?

それは、一言で言えば「ゆとり」です。

時間的にも、精神的にも、体力的にも、ストレスフルから解放され、自分の課題に集中できる生活です。

もう一つ、大切なテーマがあります。

それは、何が正義であるかということです。

これを、自分が勝ち続けることで、立証しようとするか? また、「本当に正義な存在」に委ねるかによって大きな差が生まれると言うことです。

この点は、「罪」に取り憑かれている人間には不可能なテーマです。この問題の解決は、創造主である神によらなければ光明が見えません。

その解決こそ、究極的な勝利であり、それにあやかることによって、「ゆとり」を手に入れることが可能になるのです。

確定した勝利は、多少の小競り合いがあっても、表面上のさざ波のようであって、結果に変化は起こりません。

ですから、堂々と「ゆとり」を味わって、日々、歩むことができるのですね。