永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

圧政と友好的の大差

人間の歴史を約6000年と考えている筆者ですが、その中で理想の政治体制が、どれほどあったのかについて私は懐疑的です。

特に、国という形態になり、統治者が国王なのか元首なのか、はたまた、大統領など様々なかたちがあります。

でも、人間が人間を統治するのは、非常に難しいのですね。

それは、家庭の中の人間関係を見れば一目瞭然です。

夫婦や親子など、保護する保護されるなど主従の要素を伴いますから、友好的でありたいと考えながらも、その実は、支配的な圧政ができてしまっているのでしょうね。

これが、国の規模となれば、友好的に統制がとれるのは、どれほどのことでしょう。

意見の違い、文化の違いを利害調整することも並大抵ではありません。

侵略したり、侵略されたりが、歴史の一面でもあります。

そうなれば、外部から来た侵略者に対しては、友好的になるのは、非常に困難です。

家族が、犠牲になったりすればなおさらです。

いろいろな要素を含みながらたどり着く所は、圧政で国を無理矢理まとめるということなのでしょうね。


圧政と友好的の差は、自由意志の有無です。

友好的な間柄では、それぞれの自由意志は最大限尊重されます。

しかし、圧制下では、制限を受けるか、個人の自由意志は全く無くなります。

これを自分の人間関係に当てはめて考えてみる必要性を感じます。

そうすると、良好な付き合いが長くできている関係は、お互いに自由意志を制限しない友好的な関係だとわかるはずです。

一方、腐れ縁の類いもありますので、縁があるので仕方なくのお付き合いは、それなりの距離感で置いておく必要も感じています。

しかし、圧政(DVや虐待)のような付き合いを継続しているなら、いつの日にか、いのちの危険も伴ってきますから要注意です。

案外、自分を犠牲にしてお付き合いをしているケースもあるので、定期的に関係性のチェックが必要です。

ちなみに、創造主である神は、人の自由意志を100%尊重されます。

永遠の備えをすべて整えた上で、愛のまなざしで、全人類の一人一人に友好的に寄り添っておられるのです。

これが、創造主である神と人間の「天と地ほどの差」なのですね。