永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

エデンの園 創世記2:5-17

『地にはまだ、野の灌木もなく、野の草も生えていなかった。神である【主】が、地の上に雨を降らせていなかったからである。また、大地を耕す人もまだいなかった。ただ、豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた。
神である【主】は、その大地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。それで人は生きるものとなった。神である【主】は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。神である【主】は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。
一つの川がエデンから湧き出て、園を潤していた。それは園から分かれて、四つの源流となっていた。第一のものの名はピション。それはハビラの全土を巡って流れていた。そこには金があった。その地の金は良質で、そこにはベドラハとショハム石もあった。第二の川の名はギホン。それはクシュの全土を巡って流れていた。第三の川の名はティグリス。それはアッシュルの東を流れていた。第四の川、それはユーフラテスである。
神である【主】は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。神である【主】は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」(創世記2:5-17新改訳2017)』

創世記2:4-25は、「天と地の経緯」を説明する箇所です。

聖書は「再記述の法則」が採用されています。人間の創造は第6日目に完了していますので、この箇所では、その内容「人の創造について」「エデンの園の創造について」「エデン契約について」「女の創造について」を詳細に記されているのです。

「人の創造について」
人「アダム」は、土地のちり(大地の元素)から創造(バラー)されました。
ヘブル語には、発音が似たことばがあり、「土地」は「アダマー」で「人」は「アダム」など、言葉遊びが随所に見られるようです。まるで、「だじゃれ」みたいですね。

人間の肉体は、「土地のちり」を原料として創造され、「いのちの息」を吹き込まれました。原材料代はわずかな肉体は「いのちの息」を吹き込まれた状態でなければ、ほぼ無価値です。でも、創造主である神に授けられた魂は崇高な存在なのです。

また、人間を「単なる土の器と考える」か、「創造主である神に似せて造られたと考える」かで、その価値観には大きな差が生じます。この間で葛藤しているのが人間でもあります。

エデンの園の創造について」
エデンの園はアダムとエバの住みかとして用意されました。

エデンは「水で潤っている」という意味があり、そこが水源で流れ出した川が園を潤し、4つの川へと分かれていったのです。今でも、ティグリス川とユーフラテス川の名称が残っていますが、他の2つの川は所在不明となりました。それは、メソポタミア地方のどこかと言われ、その東側にエデンの園が置かれました。

エデンの園には、完璧な生活環境がありました。外見が美しく、美味しい果実をつける木だけ生えていました。園の中央には、その実をとって食べると肉体的に死ななくなる木「いのちの木(創世記3:22)」が生えていました。

そして、「善悪の知識の木」も生えていました。これは、ユダヤ教の伝承では、ブドウやいちじくと言われ、キリスト教の伝統では、リンゴではないかと言われています。

これが、人間にとっての分岐点になった舞台です。「善悪の知識の木」の木の実を食べると「自分のとって何が良いかを決定したり、神のように振る舞う」という「知識の総体」を得ることになります。しかし、人間の能力では、その知識によって生きることができないのです。

「エデン契約について」
その生活は、エデン契約(創世記1:28-30)に基づいていました。

これは、聖書に出てくる最初の契約で、創造主である神が人類の代表のアダムと結んだのですが、結果的にアダムがこの契約を破ることになります。

その内容は7項目ありました。
①「生めよ。ふえよ。地を満たせ」については、男女の性的関係により子孫が繁栄する。

②「地を従えよ」は、地とそこに住むものとを支配・管理する特権が与えられました。

③「海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ」は、生物界を管理せよということで、アダムが動物に名前を付けるのは、この管理権の行使でした。

④また、食物が与えられるとの約束もあり、植物の園は、果実がたわわに実り、十分な生活ができる環境でした。この時点では、人類は菜食です。なぜならば、肉食は動物の死を必要とするからです。自然界に死が入るまで、人類も動物も菜食によって命を保つことができたのです。

エデンの園を耕し、守ること
エデンの園は、アダムにとって安息の地でした。しかし、園の管理(仕事、奉仕、礼拝を含む)という労働はあったようです。これは、創造主である神への奉仕や礼拝の要素があり、苦役ではなく、喜びが伴うものだったのです。

⑥どの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、「善悪の知識の木」からは取って食べてはならない。
たった一つの禁止令により、時限的に人間がテストされた。この時点では、人間は罪を犯さない能力も、罪を犯す能力も与えられていました。もし、合格していれば、人は罪を犯すことができない聖なる性質が確定した状態になっていたのです。

※類似のテストは、「暁の子(サタン)」と反逆に加担した3分の1の天使にもあり、その結果、堕天使になりました。

⑦「善悪の知識の木」から取って食べるとき、人は必ず死ぬ。それは、神の命令に違反した瞬間に神との断絶(霊的死)が起こり、肉体的死も伴うことになった。

「女の創造について」
そして、女の創造についても記されています。

それは、アダムの「助け手」として創造されましたが、支配関係や上下関係ではありませんでした。

また、人間は精神的独立をして、それでいて、糊でくっつけられたような、互いに契約を守り続ける状態が理想とされました。

エデンの園に置かれた時には、裸であっても、神に対しても、お互いに対しても、隠したり、恥じたりする必要がない、理想的な男女関係がありました。

しかし、ここが事件の舞台になります。

 

聖書の年代チャート

聖書の核心は人類救済

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