永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

名誉はどこから? 新渡戸稲造

『名誉は「境遇から生じるもの」ではなくて、それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにあるのだ、ということに気づいているのは、ごくわずかの高徳な人びとだけである。 新渡戸稲造

新渡戸稲造の「武士道」の中に出てくる一節です。

名誉職というモノがありますから、その人がその位置にいて欲しいというニーズとマッチしているという事なのでしょうね。

「カバン・看板・地盤」といわれる政治家の伝統も、それが大切という一面はあるものの、実際はそれを引き継ぐ人次第です。

また、「家系」が良いとされても、ある一人の不祥事がその家系を断絶させるほどのダメージを招いてしまうケースもあります。

世の中で、見聞きするのは、金銭欲、食欲、性欲、所有欲が満たされると、その次に名誉のカタチが欲しくなるというのです。

まるで、熊手でかき集めるように、あらゆるモノを集めきった先が、名誉という位置づけという価値観が存在するということですね。

「それぞれが自己の役割をまっとうに務めることにある」と新渡戸稲造が記しているのは、その人の歩みによって、「名誉」か「不名誉」か「評価なし」になるのではないかと指摘しているように感じます。

名誉は勲章に表されると考える人がいて、勲章の権利を売買しているケースもあるようですが、違和感がありますね。

私は、「それぞれの役割」をコツコツと積み重ねている市井の人こそ、名誉に値していると考えています。

家庭を支えている主人、それを支えている家族、それを支えている主婦(主夫)など、それぞれの役割を果たしていくという意識こそ、「名誉」に値するのではないでしょうか。

どれだけ家族に尽くしているつもりでも、「ありがとう」の一言も「おいしい」の一言もないと嘆いている人も多くいると思いますが、それにもめげずに、自分の役割に取り組んでいる姿勢こそ「最大の名誉」なのですね。

名誉とは、世の中からの賞賛を受けるよりも、実体がある姿にこそ向けられるコトなのですね。

これに気づいたら、家庭がより円満になりそうですね。