悪い使者はわざわいに陥り、忠実な使者は人を癒やす。(箴言13:17新改訳2017)』
使者の役割は、非常にシンプルです。
主人(依頼者)から託された用事を先方に届けるだけです。
しかし、なかなかスムーズに、その役目を果たせない現実があります。
「手紙を届ける」「モノを届ける」という役目の他、口上や態度が使者にふさわしいものであるかどうかも重要な評価基準です。
依頼者は誰か?
預かるメッセージは何か?
どなたに届けるのか?
アポイントメントが必要か?
どのような服装が望ましいか?
などの基本が理解でき、緊張しながらも、その託された役割を果たして、依頼者に喜んでもらいたいです。
使者が主体になってしまったり、趣旨が理解できていなかったりと言うこともあります。
言語を理解できる人間は、犯しがちな過ちは、伝言ゲームに代表されるアレに起因しています。
伝言ゲームをしてみると、5人でリレーをしたとしても、発信した内容が、かなり乖離することもあります。
それは、「思い込み」です。自分のものさし(固定観念)で、理解したつもりになることです。
依頼者の意向をくみ取ることが難しいと感じたら、短くてもよいので、手紙などを書いてもらう方が良いケースもあるのではないでしょうか?
また、適度な配慮も大切で、失礼のないように気を遣うことや、お届けする相手の様子を把握して、依頼者にフィードバックするという役目をも担っていると考えています。
依頼者が勇気を出して、どなたかにメッセージを発信したのですから、それが、どのような効果をもたらしたのかを知りたいですよね。
配慮の行き届いた忠実な使者は、役割を果たすだけではなく、「癒やす」と記されています。
託された言葉や贈り物が、双方に癒やしをもたらすのですね。
一方、「悪い使者はわざわいに陥り」と記されているのは、その役割を果たせなかったケースです。
せっかくの機会を不意にしてしまう残念な結果ですね。
福音の使者としての歩みは、自身の信仰が実体となっていることが何よりも大切で、見せかけの言葉や行為は、かえって誤解を与えてしまうコトになります。
自分自身は、信仰者として、どのような使者で、どのような使者になりたいのでしょうね?