永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

物乞いをする祈り方 クリスチャンはクレクレ星人?

お祈りのイメージは十人十色だと感じています。

信仰は多様性があり、何を中心にするかによって大きな違いがあります。

自分中心であれば、自分が良くなることに焦点を合わせます。

欲望中心ならば、その望みが叶えられることに焦点を合わせます。

でも、ココで私がイメージしている信仰の中心は、創造主である神です。

永遠から永遠までの存在で、全宇宙を治めている「いのちの源」に焦点を合わせようとしています。

でも、実際にクリスチャンだと表明している人の中には、さまざまな信仰を持つ人がいるのです。

それは、それぞれ求めが違うので、当然かも知れません。

日本人は、神社を参拝する人が多くいます。お賽銭を入れて、願い事を述べると言うのです。でも、それが実現しなくても、何とも思わないと言う人がいました。

クリスチャンの中でも、自分の願望は必ず叶うと考えている人もいます。

「高価で貴い」という部分を「ハイプライス(高額)」と考えている人もいます。

「高価で貴い」の真意は、むしろ、オンリーワンで「プライスレス(値段がつけられない)」というのが大切なポイントだと私は考えています。

自分の願いと合致することもあれば、合致しないこともあります。

「願い事を祈る」のは推奨されていますが、最終的には「神の御心が成る」というのが、健全なポイントだと考えています。

祈りは、大祭司イエス・キリスト(第2位格)の御名によって、天の父(第1位格)に、聖霊(第3位格)の執り成しによってなされるものです。

まず、創造主である神を崇めること、次に、天来の恵みを感謝すること、そして、自分の願いを申し上げることなどがあります。

でも、大切なのは、御心ならばという姿勢です。

ジタバタする祈りも否定されませんし、聖書の中にも、「祝福するまでは離さない」という格闘シーンも記されてあります。

さらに、神の「細い声」を聞く姿勢です。祈りには静思する時間も大切だと考えています。

それでも、何も聞こえないようなコトもあります。

その様な時には、祈りながら最善を探りつつ、行動をしていくことが必要です。

祈りは、願い事だけではないことをイメージしながら、バランスを考えて行きたいですね。