『あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する。しかし、もしわたしのために石の祭壇を造るなら、切り石で築いてはならない。のみを当てると、石が汚されるからである。あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。(出エジプト20:24-26新共同訳)』
ここでは、祭壇を作りなさいという命令です。
この時には、幕屋の設計図を示す前です。
土の祭壇は、とても質素に感じますが、これには大切な意味がありました。
それは、カナンの偶像崇拝との差をつけるためでした。
カナンでは、とても細工に凝った祭具が用いられていました。
しかし、創造主である神が、イスラエルの民を、真の礼拝をする民として育てるためには、質素な祭壇が、とても大切な要素だったのです。
また、石の祭壇をつくる場合でも、自然のままの石を使うように記しています。
ここにも、カナンとの差別化があります。
それは、巧みな祭壇をつくると凝った造形を刻みたくなり、それが、崇拝の対象となってしまう傾向があったので、それを避ける意味でも、シンプルな祭壇を推奨したのです。
階段を作らないことにより、90cm~1m程度の高さになります。
どのような形状にしても、その本質は、信仰の行為でつくられる祭壇です。
創世記では族長が、主への生贄を捧げるために祭壇をつくりました。
時代に応じて、その時のリーダーがシンプルな祭壇で、創造主である神に、真の礼拝を捧げています。
切石を用いないという教えは、ソロモンの神殿でも採用されています。
石の割れ目にノミではなく、木のクサビを入れ、水をかけて膨張させて加工していたそうです。
創造主である神は、イスラエルの民に、単純で素朴な礼拝を教えています。
「霊と真を持って(ヨハネ4:23~24)」とありますから、礼拝者は場所や形式ではなく、本質的な礼拝が求められています。
荘厳さを感じる所は、吟味が必要です。本質や実質が欠けているところに創造主である神は臨在していないのですね。
箔の付いた煌びやかな祭壇よりも、真の礼拝者を喜んでくださる主なのですから。