永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

愛と自愛 ラ・ロシュフコー

『嫉妬には愛以上の自愛がある。 ラ・ロシュフコー

愛は、心が真ん中にあります。これは、真心でしょう。

恋は、下に心があります。下心バリバリですね。

人を愛するということは、非常に複雑なのかも知れません。

何のために愛するのか? 動機を探る必要がありそうです。

嫉妬は、「想いを寄せる人が、自分ではない誰かに想いを寄せることを恐れ、その人を妬み憎む感情」などと説明されます。
参考サイト https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AB%89%E5%A6%AC

嫉妬のカワイイ面は、「私だけを見て」という部分です。

しかし、お互いに、それぞれの付き合いがありますから、自分以外の誰かと接点を持たれることの方が現実なのです。

「女房妬くほど亭主もてもせず」などとも言われていますね。

でも、その関係性の中で、「自分が置いてきぼりにされる」という恐怖感を感じてしまうと、嫉妬が炎と化し、メラメラと燃え上がってしまうことでしょう。

その時に、「愛」が向かっている方向性を考えてみると、「置いてきぼりにされそうな自分」になっていませんか?

そうだとすると、その「嫉妬」は「自愛」だと認定されてしまいますね。

ただ、嫉妬よりも恐ろしい状態もありますからご用心です。

それは、「無関心」です。

これは、眼中に無いコトでもありますから、関係性を見直す必要も出てきますね。

少々の嫉妬をされる人が羨ましい気持ちもあります。

でも、より良い関係性のためには、それぞれが精神的自立をしていて「ドンと構えている」ことが大切なのでしょうね。